高齢者がホームに入居すると認知症を発症するワケ
わずか20平米程度の居室に持ち込めるものには限界があります。自分自身にとって本当に必要なものとはいったい何なのでしょうか? このことを知る機会として、老人ホームへの入居を考えることをお勧めします。
老人ホームに入居したら、その時点から新しい出会いが始まります。一つ屋根の下に、多くの介護職員と入居者との集団生活が始まります。当然、気に入らない介護職員や入居者もいると思います。老人ホームでの生活は、毎日楽しいことばかりではありません。むしろ退屈で、面倒なことばかり起きるのではないでしょうか?
しかし、そのことも含めて生きているということだと思います。「住めば都」。昔の人は実に面白いことを言いました。究極的に言えば、老人ホームでの生活は、自分次第でいかようにもなるということだと思います。
ミスマッチを解説①「こんなはずではなかった」とは
「こんなはずではなかった」の「こんなはず」とはいったい、どんなはずを言うのでしょうか? 母親に対しよかれと思って老人ホームに入居することを勧めたはずなのに、逆に母親の身体が見る見るうちに弱っていく、というような場合が考えられます。
とくに認知症の場合、老人ホームに入居したら認知症がより進んでしまったとか、自宅にいたときは自分で着替えができたのに、老人ホームに入居したら着替えができなくなってしまったとか、そのケースはさまざまです。
私は医師ではないので、今までできていたことができなくなった医学的な根拠はわかりませんが、介護の理屈で言うならば、老人ホームに入居すると、入居者は「安心」してしまいます。なぜなら、周囲にいつも自分のことを気にかけてくれている職員が配置されているからです。自分で考え判断するという必要性がなくなるのです。
時間になれば食事が勝手に用意され、時間になれば入浴を促されます。多くのホームでは、原則として「自分のことはご自分で」「できることはご自身で」という介護方針で対応しているのですが、民間企業が営利を目的に運営している老人ホームの場合、「部分最適」よりも「全体最適」が優先されてしまいます。
次の業務や工程に支障が出てしまう事情から、着替えや食事などの行動に一定以上の時間がかかってしまう入居者には、職員による中途介入が入るのが普通です。中には、一人でやらせると時間ばかりがかかってしまうので、最初から職員がやってしまうことも多分にあります。そして、そのうち、自分でやる必要性が失われ、その結果、着替えなどは職員の全介助なしにはできなくなっていくのです。