「お父さんを一人にしておけない」娘が初めて知った母の本音
真理さんは母の隣に座り、ゆっくり話を聞きました。美代子さんは、施設での生活が嫌になった理由を尋ねられると、少し考えてから答えました。
「ここではみんなよくしてくれるの。でも、夜になると、お父さんが一人でいることが気になってしまうのよ」
夫婦は50年以上、同じ家で暮らしてきました。毎晩一緒に夕食を取り、テレビを見ながら何気ない話をするのが日課でした。
施設に入ってからは、日中に夫が面会に来ることはあっても、夜は別々に過ごしています。
「お父さん、料理が得意じゃないでしょう。私がいなくなって、ちゃんと暮らせているのかと思うと眠れなくなるの」
真理さんは、母が自分の寂しさだけでなく、夫の生活を心配していたことを初めて知りました。
内閣府『令和5年度 高齢者の住宅と生活環境に関する調査』では、今後の住まいについて考える際に重視することとして、生活の利便性や医療・介護サービスの利用しやすさなどが挙げられています。高齢期の住まいを考えるうえでは、日常生活を支える環境が重要な要素となります。
真理さんはその日のうちに父にも連絡し、母の気持ちを伝えました。弘明さんは驚いた様子でしたが、しばらくしてこう話したそうです。
「俺は何とかやっているんだけどな。あいつには、心配をかけないように元気なところを見せていたから」
父もまた、妻に寂しい思いをさせまいと、面会のたびに明るく振る舞っていたのです。
家族は施設の相談員にも事情を伝え、今後の過ごし方を話し合いました。
美代子さんの身体状況を考えると、すぐに自宅での生活に戻るのは難しい状態です。一方で、夫婦が一緒に過ごす時間を増やす方法は考えられます。
そこで、弘明さんが面会に訪れる回数を増やし、夕方まで一緒に過ごせる日を設けることにしました。また、施設の協力を得ながら、体調のよい日には短時間の外出も検討しています。
真理さんは、母に「帰りたいと言ってもいいんだよ。これからどうしたらいいか、一緒に考えよう」と伝えました。
美代子さんは少し安心した表情を見せ、バッグから自宅の鍵を取り出して、娘に預けたそうです。
「施設に入れば安心だと思っていました。でも、母が何を一番大切にしているのか、ちゃんと聞けていなかったんですね」
高齢期の住まい選びでは、介護の必要度や安全性に加え、長年続けてきた生活習慣や家族との関係も大切な要素になります。施設に入居したあとも、本人の気持ちは変化していくものです。その思いに耳を傾けながら、無理なく続けられる暮らし方を家族で考えていくことが大切でしょう。
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