「父との思い出だから」老人ホームに持ち込んだ古い写真立て
「母が寂しくならないように、父との思い出の品を持たせたかったんです」
そう話すのは、61歳の美紀さん(仮名)です。
美紀さんの母・和子さん(89歳・仮名)は、長年暮らした自宅を離れ、介護付き有料老人ホームに入居することになりました。
父親は8年前に亡くなり、和子さんはその後も一人暮らしを続けていました。しかし、ここ1年ほどで足腰が弱り、転倒への不安も大きくなっていたそうです。
美紀さんは車で40分ほどの場所に住み、週に2回ほど実家を訪れて買い物や掃除を手伝っていました。
「母はできるだけ家にいたいと言っていたんですが、お風呂に入るときなど、一人では心配な場面が増えてきたんです」
和子さん本人とも話し合い、見学した施設の中から、自宅に比較的近い老人ホームを選びました。
入居に向けた荷物の整理を進めるなかで、美紀さんがどうしても持たせたいと思ったものがありました。
父親と母親の結婚40周年を記念して撮影した、夫婦の写真です。木製の大きな写真立てに収められ、実家の居間の棚に長年飾られていました。
「父が亡くなってからも、母はずっとその写真を飾っていたんです。新しい部屋にも置いてあげたいと思いました」
写真立ては幅30センチほど。ガラス製の前面カバーが付いており、ずっしりとした重さがあります。
入居当日、美紀さんは衣類や日用品と一緒に写真立てを持参しました。
「これだけは母の部屋に置いてほしいんです。父との思い出の品なので」
職員にそう伝えると、居室内の棚に置くことになりました。
和子さんは写真を見て「懐かしいね」と笑ったそうです。美紀さんは、その様子に安心しました。
ところが入居から4日後、施設の職員から電話がかかってきます。
「お持ちいただいた写真立てについて、ご相談したいことがありまして」
美紀さんは、何か壊してしまったのだろうかと心配になりました。しかし、職員から伝えられたのは、予想していなかった話でした。
「お母さまから、写真立てをご自宅に持ち帰ってほしいというご希望が出ています」
「母が、ですか?」
美紀さんは思わず聞き返しました。
