「よかれと思って」が招いた後悔…家族と施設の話し合い
忘れられない出来事が起きたのは、それから数週間後でした。
その日、浩美さんは母の好きだった栗まんじゅうを持って面会に行きました。小さく切って、少しずつ食べてもらえば大丈夫だろうと思っていました。
節子さんは、久しぶりに目を輝かせました。
「懐かしいねえ」
浩美さんは、母の笑顔に安心しました。
しかし、その夜、施設から電話が入りました。節子さんが食後にむせ込み、発熱したというのです。すぐに病院で診察を受け、大事には至りませんでしたが、誤嚥の可能性があると言われました。
「私のせいですか」
翌日、施設で医師と看護師から説明を受けた浩美さんは、そう尋ねました。
医師は、すべてが差し入れだけのせいとは言えないとしながらも、90歳という年齢では飲み込む力が日によって変わること、体調が悪い日には普段食べられるものでも危険になることを説明しました。
厚生労働省『令和4年国民生活基礎調査』によると、要介護者等のいる世帯は増加傾向にあり、介護が必要な高齢者を家族や施設がどう支えるかは多くの家庭に関わる課題です。施設入居後も、家族の関わり方や情報共有は重要になります。
また、介護保険施設や有料老人ホームでは、本人の状態に応じた食事形態や介助方法が検討されます。好物を楽しむことは生活の質に関わりますが、嚥下機能や持病の管理と切り離して考えることはできません。
浩美さんは、自分が母の状態を十分に理解していなかったことを悔やみました。施設に任せきりにしたくない気持ちと、母を喜ばせたい気持ちが先に立ち、職員への相談を後回しにしていたのです。
その後、浩美さんは施設と話し合い、差し入れのルールを決めました。持参する前に職員へ相談すること。食べやすい形状にしてもらうこと。量を少なくし、体調のよい時間帯に楽しむこと。甘いものは完全に禁止するのではなく、医師や看護師の確認のもとで無理のない範囲にすることになりました。
節子さんは、以前より少ない量のゼリーを口にしながら、静かに笑いました。
「これもおいしいね」
浩美さんは、その言葉に涙が出そうになりました。
老人ホームに入ったからといって、家族の役割がなくなるわけではありません。面会し、好物を持って行き、昔話をすることは、本人にとって大きな喜びになります。
ただし、家族の思いと本人の身体にとっての安全は、必ずしも一致しません。
大切なのは、愛情を我慢することではなく、施設や医療職と相談しながら、その人に合った形で支えていくことです。母の笑顔が見たかった――その思いに間違いはありません。ただ、良かれと思った行動が思わぬ結果につながることもあります。だからこそ迷ったときは、周囲と情報を共有しながら見守っていくことが大切なのです。
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