「心配するな」…父の通帳に残っていた記録
真理子さん(仮名・56歳)が父の通帳を見つけたのは、久しぶりに実家を片づけていたときでした。
80歳の父・昭男さん(仮名)は、妻を亡くしてから一人暮らしを続けています。年金は月7万円ほど。持ち家のため家賃はかかりませんが、生活に余裕があるとは言えませんでした。
真理子さんは何度も聞いていました。
「お父さん、お金は大丈夫?」
そのたびに昭男さんは、決まってこう答えていました。
「何とかなる。心配するな」
娘に頼るのが嫌なのだろう。真理子さんはそう思い、深く踏み込みませんでした。
ところがある日、昭男さんが体調を崩して数日入院することになります。
退院後、真理子さんは実家の郵便物や役所からの書類を整理していました。その際、茶だんすの引き出しに保管されていた通帳が目に留まります。
「残高くらい確認しておこうかな」
軽い気持ちで記帳済みの通帳を開いた真理子さんは、思わず息をのみました。1,000万円近くあった残高が、600万円ほどまで減っていたのです。年金が入るたびに出金が続き、ときにはまとまった振り込みも確認できました。
「何これ……400万円近く減ってるじゃない」
思わず強い口調になると、昭男さんはしばらく黙り込みました。そして、ぽつりと言いました。
「妹に送っていた」
真理子さんは、すぐには意味が分かりませんでした。
昭男さんには、ひとり暮らしをしている妹の芳江さん(仮名・76歳)がいました。真理子さんにとっては叔母にあたります。ただ、親戚付き合いは薄く、ここ数年はほとんど会っていませんでした。
昭男さんによると、芳江さんは数年前から認知機能に不安が出始めていたといいます。最初は同じ話を繰り返す程度でしたが、やがて家賃や公共料金の支払いを忘れたり、同じものを何度も買ったりするようになりました。
「放っておけなかったんだ。親父とおふくろが死ぬ前に、妹のことを頼むって言っていたからな」
昭男さんは、芳江さんの家賃や食費、滞納した公共料金、壊れた家電の買い替え費用を少しずつ負担していました。福祉の窓口に相談することも考えたものの、妹本人が嫌がり、親戚にも知られたくないと言ったため、結局ひとりで抱え込んでいたのです。
総務省『家計調査(2025年)』によると、65歳以上の単身無職世帯では、可処分所得約11.8万円に対し、消費支出は約14.8万円で、平均では毎月約3.0万円の不足となっています。昭男さん自身の年金月7万円は、この平均的な可処分所得を大きく下回る水準です。妹を支える余裕があったわけではありません。
それでも昭男さんは、誰にも言わず通帳からお金を下ろし続けていました。
