「母が久しぶりに笑った」…好物の差し入れが日課に
浩美さん(仮名・63歳)の母・節子さん(仮名・90歳)は、2年前から介護付き有料老人ホームで暮らしています。年金は月15万円ほど。施設費用は年金だけでは足りず、足りない分は母の預貯金から補っていました。
節子さんは、もともと料理好きで、甘いものにも目がありませんでした。入居直後は環境になじめず、食事もあまり進まない日が続きました。
「お母さん、何か食べたいものある?」
浩美さんが尋ねると、節子さんは小さな声で答えました。
「昔よく食べた、あんみつが食べたいね」
次の面会日、浩美さんは小さなあんみつを買っていきました。職員に声をかけ、母の部屋で少しずつ食べさせると、節子さんは久しぶりに笑いました。
「おいしいねえ」
その笑顔を見た瞬間、浩美さんは胸がいっぱいになりました。
それ以来、面会のたびに母の好物を持っていくようになります。プリン、羊羹、カステラ、果物。食が細くなっていた母がうれしそうに食べる姿を見ると、浩美さんは「これくらいしかしてあげられない」と思いました。
総務省『家計調査(2025年)』によると、65歳以上の単身無職世帯では、可処分所得約11.8万円に対し、消費支出は約14.8万円で、平均では毎月約3.0万円の不足となっています。老人ホームで暮らす場合も、基本的な利用料に加え、医療費や日用品代、理美容代などの支出があります。
節子さん自身も、年金月15万円の範囲で老人ホームの利用料や日々の生活費をやりくりしていました。そのため、浩美さんは母の家計に少しでも負担をかけたくないと考え、面会のたびに好物や日用品を持参していたのです。
「母の笑顔が見たかっただけなんです」
ところが、ある日、施設の看護師から声をかけられました。
「最近、甘いものを召し上がる回数が増えていますか?」
節子さんは血糖値が高めで、食事量や間食に注意が必要な状態でした。さらに飲み込みの力も弱くなっており、食べ物の形状にも配慮が必要になっていました。
浩美さんは戸惑いました。
「少しだけなら大丈夫だと思っていました」
看護師は責める口調ではなく、静かに説明しました。食べる楽しみは大切だが、体調によっては量やタイミング、形状を確認する必要がある、と。
それでも浩美さんは、心のどこかで納得しきれませんでした。母が喜ぶものを取り上げられているように感じたのです。
