「少しだけ助けてほしい」…老朽化した公営住宅での暮らし
正雄さん(仮名・76歳)と妻の久美子さん(仮名・73歳)は、築40年ほどの公営住宅で暮らしています。
子どもが小さいころに入居し、気づけば40年近くが過ぎていました。家賃は民間の賃貸に比べて抑えられ、年金生活に入ってからも住み続けられることは大きな安心でした。
夫婦の年金は合わせて月20万円ほど。ぜいたくはできませんが、食費を抑え、外食を控えれば暮らしていけると思っていました。
ただ、建物の古さは少しずつ生活に影を落としていました。浴室は冬になると冷え込み、台所の換気扇は大きな音を立てます。エレベーターのない棟で、3階までの階段を上るたびに久美子さんは息を切らすようになりました。
総務省『令和5年住宅・土地統計調査』では、住宅全体に占める公営の借家は176万戸、割合は3.2%とされています。公営住宅は住まいに困る人を支える重要な受け皿ですが、建物の老朽化や高齢入居者の生活支援は、個々の家庭だけでは解決しにくい課題でもあります。
「買い物袋を持って上がるのが、だんだん怖くなってきたの」
久美子さんがそう漏らすと、正雄さんは「息子に相談してみるか」と言いました。
長男は離れた場所で暮らし、仕事と子育てに追われていました。それでも正雄さん夫婦は、どこかで「息子なら助けてくれる」と思っていました。重い荷物を運ぶ日だけ来てほしい。役所の手続きについて調べてほしい。できれば、もう少し通いやすい住まいを一緒に探してほしい。
正雄さんが電話をすると、長男は最初、心配そうに話を聞いてくれました。
「分かった。時間を見つけて調べてみるよ」
しかし、その後も状況はなかなか変わりませんでした。長男からの連絡は少なく、こちらから電話をしても「今は忙しい」と言われることが増えました。
ある夜、正雄さんが「今度の休みに来られないか」とメッセージを送ると、しばらくして返信が届きました。
「親子だからって限界がある」
その一文を見た瞬間、正雄さんは言葉を失いました。怒りより先に、寂しさが込み上げました。
「頼りすぎていたのかもしれない」
久美子さんも、画面を見つめたまま黙っていました。
