憧れだった地方移住…退職後に始まった第二の人生
「定年したら、海の近くでのんびり暮らしたいね」
会社員として長年働いてきた健一さん(仮名・67歳)と、妻の久美子さん(仮名・65歳)は、現役時代からそう話していました。健一さんは65歳で退職し、退職金は約1,200万円。夫婦の年金収入は月17万円ほどでした。
都市部で暮らし続ければ生活費がかさむ。そう考えた夫婦は、以前から旅行で訪れていた海沿いの町への移住を決めます。築年数は古いものの、中古住宅は都市部よりはるかに安く購入できました。
「家を安く買えれば、年金だけでも何とかなると思ったんです。自然もあるし、食べ物も安い。老後にはちょうどいいと思っていました」
移住してしばらくは、夫婦とも新しい暮らしに満足していました。朝は海辺を散歩し、地元の市場で魚を買い、昼過ぎには庭の手入れをする。都会のような騒がしさはなく、時間がゆっくり流れているように感じられました。
しかし半年ほど経つと、少しずつ現実が見えてきます。最寄りのスーパーまでは車で20分、総合病院までは40分以上。バスは本数が少なく、タクシーを使えば片道だけで数千円かかります。健一さんは運転ができましたが、「この先もずっと車を使える」という前提そのものに不安を覚えるようになりました。
さらに、安く買えたはずの住宅にも費用がかかりました。雨漏りの補修、給湯器の交換、浄化槽の点検、台風後の屋根修理。ひとつひとつは必要な支出でしたが、年金月17万円の家計には重く響きます。
総務省『家計調査(2025年)』によると、65歳以上の夫婦のみ無職世帯では、可処分所得約22.2万円に対し、消費支出は約26.4万円となっており、平均で毎月約4.2万円の不足が生じています。健一さん夫婦は年金収入がこの平均より少なく、日々の生活費に加えて車の維持費や住宅修繕費が重なるたび、退職金を取り崩すしかありませんでした。
それでも、夫婦は娘に詳しい事情を話していませんでした。
「心配をかけたくなかったんです。自分たちで決めた移住でしたし、困っていると言うのも恥ずかしかった」
久美子さんはそう振り返ります。電話では「元気にしている」「海がきれい」「野菜をもらった」と明るい話ばかりをしていました。娘の美咲さん(仮名)は、両親が地方で穏やかに暮らしているものだと思っていました。
