「お父さんには、この家にいてほしい」娘が反対した売却
正雄さん(仮名・70歳)は、妻を亡くしてから、築38年の戸建てで一人暮らしをしていました。年金は月16万円ほど。住宅ローンは完済していましたが、固定資産税や火災保険料、住宅の修繕費が重く感じられるようになっていました。
家には4つの居室があり、2階には独立した娘が使っていた部屋も残っています。しかし、正雄さんが普段使うのは1階の居間と台所、寝室だけでした。
「広い家は、もう必要ありません」
正雄さんが自宅の売却を考え始めたのは、雨漏りの修理に約70万円かかるとわかったことがきっかけです。給湯器も古く、数年以内には外壁の補修も必要だと言われました。
それ以上に負担だったのが、日々の管理です。庭の草を抜き、落ち葉を集め、使わない部屋にも風を通す。冬場は2階へ上がることがほとんどなくなり、雨戸を閉めたままの日が続いていました。
ある日、正雄さんは近くに住む娘の真理さん(仮名・42歳)に話しました。
「この家を売って、スーパーや病院が近い団地に移ろうと思っている」
真理さんは驚きました。
「どうして急に? お母さんとの思い出もあるし、将来、私たちが戻ることだってあるかもしれないでしょう」
正雄さんが検討していたのは、駅から徒歩10分ほどの賃貸団地でした。築年数は古いものの、室内は改修済みで、2DKの部屋は正雄さん一人には十分な広さです。スーパー、内科、バス停も近くにあり、車を手放しても生活できそうでした。
「でも、団地でしょう。今の家を手放してまで移る必要があるの?」
真理さんには、団地への住み替えが生活水準を下げる選択に見えていました。また、自分が育った実家がなくなることへの寂しさもあったといいます。
内閣府『令和7年版高齢社会白書』によると、65歳以上の人の住居形態は「持家(一戸建て)」が79.8%を占めています。高齢者の多くが戸建ての持ち家で暮らす一方、住まいが現在の身体状況や生活規模に合っているとは限りません。
正雄さんは娘の反対を受け、いったん売却を迷いました。しかしその冬、浴室近くの廊下で足を滑らせました。けがはありませんでしたが、冷えた廊下に座り込んだまま、すぐには立ち上がれませんでした。
「この家で一人のまま、あと10年暮らせるだろうか」
その不安が、住み替えを決断する最後のきっかけになりました。
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