日常を侵食する「320万円」の奨学金
「500円のラテを飲むたびに、自由になるための時間を捨てているような罪悪感に襲われるんです」
私立大学を卒業して2年、都内の中小企業で事務職として働く佐々木美咲さん(仮名・24歳)は、声を震わせながら語ります。
美咲さんの日常は、頭のなかを常に支配する「320万円」という奨学金の支払額に塗りつぶされています。
現在の月収は額面で約21万円、手取りにすれば17万円そこそこ。ボーナスを含めても年収は270万円ほどです。
都内の平均的な初任給をわずかに下回るこの収入から、毎月約1.5万円が奨学金の返済として自動的に引き落とされます。返済自体は滞りなく進んでいますが、美咲さんの心が軽くなることは一向にありません。
「友達とカフェに入っても、メニューの金額を見た瞬間に『この500円のラテ代があれば、返済が1日分早まるのに』『こんな贅沢しちゃってもいいのかな』って、自分を責め続けてしまうんです」
家賃や光熱費を払えば、手元に残るのは、食費とわずかな貯蓄のための数万円。本来なら、20代前半という最も華やかな時期を謳歌しているはずの年齢です。
しかし、美咲さんにとって消費は「楽しみ」ではなく、自らの生命力をすり減らす「苦行」でしかありません。
「最期までお金のことで謝る」母が遺した呪縛
美咲さんが1円単位の支出にまで怯えるようになったのは、10代で経験した母との死別が原因です。末期がんを患った母親は、病床で自らの体調よりも「あること」を気に病んでいました。
「母が最期まで気にしていたのは、自分の命ではなく“治療費”のことでした。『こんなにお金がかかってお父さんに申し訳ない。美咲になにも残してあげられない』と泣いて謝るんです」
死にゆく人間が、生きるためにかかる費用を「家族への迷惑」として詫びる。その姿は、多感な時期だった美咲さんの心に「お金がない=誰かに謝りながら生きること」という深い呪縛を焼きつけました。
「あのとき、悟ったんです。お金がないことは、ただ貧しいだけじゃない。周りに気を遣って、肩身の狭い思いをしながらしか生きられなくなるんだって」
美咲さんにとって、320万円という奨学金は単なる学費の残りではなく、自分を「マイナスの存在」に縛りつける存在です。このマイナスを一日も早くゼロにしない限り、自分には人並みの幸せを味わう資格がない。そんな思いが美咲さんを支配しているのです。
だからこそ、500円のラテを飲むことは浪費ではありません。「自由になるための時間」を、自分のわがままで勝手に削る「罪」のような感覚だと捉えています。
「父は『自分の老後の心配はいらない』と言ってくれます。でも、もしお父さんが倒れたときに、自分のラテ代のせいで『お金がない』なんて言ったら? お母さんと同じように、あの申し訳なさと惨めさを繰り返すことになる。それだけは、死んでも嫌なんです」
