しかし、考え方を変えてみよう。もし会社が「残業代」と言い張っているものが、残業代ではなかったとしたら。ただ単に、基本給の一部を切り取って、残業代に名前を変えているだけだとしたら。こう考えると、会社側にはメリットしかない。本当は基本給しか払っていないのに、残業代を払ったことにできてしまうからである。
しかも、見かけの給料を大きく見せることができる。これは求人詐欺の主要な手法の一つである。例えば、求人票に「基本給30万円」と書いてあったが、入社してみたら「実は基本給20万円、固定残業代10万円でした」と言われてしまうのである。そして残業代は一切出ない。
次の具体例で考えてみよう。
A社 基本給30万円
B社 基本給20万円 固定残業代10万円
どちらも、「毎月固定で最低でも30万円を払う」という点では全く同じである。ところが、残業代については違う。A社では、基本給30万円に「加えて」残業代を払わなければならない。他方、B社では既に残業代を10万円払ったことにできてしまうのである。
A社とB社で何が違うだろう。「名前が違う」だけである。それ以外に何も違いは無い。B社では、会社が恣意的に基本給30万円のうち10万円を切り取って「固定残業代」に名前を変えているだけなのである。こんな単純な子供だましが、多くのブラック企業で横行している。固定残業代に関する統計が無いので、あくまで私の主観ではあるが、ブラック企業の半分以上は固定残業代を採用しているような気がする。
現実に私が担当した事案でも、私の仮説を裏付ける出来事があった。相手方企業は、別の名称の手当てとして支給していたものを、途中で変更して「残業代」に名前を変えていたことを認めたのである。変更の前後で総支給額にほぼ違いは無く、正に「名前を変えただけ」であった。
猛烈なコストカット効果を生む
では、前述のB社における固定残業代10万円は、一体何時間分の固定残業代に当たるのか。B社の残業代算定の基礎となる基本給は20万円。これを前提に、月の所定労働時間を、ざっくり160時間として計算すると、10万円は約64時間分の残業代になる。
他方、A社の場合、単純に30万円全額が残業代算定の基礎時給になるので、64時間残業させた場合の残業代は15万円だ。A社はこれを基本給30万円に「プラスして」支払うことになる。つまり、基本給と残業代合わせて総額45万円。他方、B社は固定残業代で64時間を既に払ったことにできてしまうので、30万円だけ。
A社とB社が同じ64時間残業させた場合、A社の方が1.5倍のコストになるということである。ただ名前が違うだけなのに。これを1年単位で考えると、180万円も違う。社員10人なら1,800万円、100人なら1億8,000万円も残業代をカットできる計算になる。
そして、現実はもっと酷い。固定残業代制を採用する企業は、残業が固定残業代分を超えたとしても、超えた分を払わないことがほとんどである。本来は超えた分を払わないといけないので、当然違法だ。そのようなブラック企業は、100時間以上残業させることなどザラである。
このように、「実際はどんなに残業させても固定分を超えた分は払わない」という実態を考慮すると、もっと酷いことになる。単に基本給30万円とした場合、仮に100時間も残業させると、残業代は1ヵ月で23万4,375円、1年間で281万2,500円だ。固定残業代を採用する企業はこれを払わないのだ。およそ一人分の賃金を丸ごと削ったのと同じだ。
社員10人なら2,812万5,000円、100人なら2億8,125万円も削ることになる。こうやってコストカットをするから、異常に安い値段で商品やサービスを提供することが可能になっている。
仮に訴訟で争ったとしても、固定残業代について有効と認められてしまえば、大幅に残業代を減額できてしまう。そして、訴訟までする労働者は極めて少数派であるから、結局ブラック企業の「やり得」になる。
なぜブラック企業において固定残業代が大流行しているのか、具体的な数字をもって考えるとよくお分かりいただけただろう。「ただ単に名前を変えるだけ」で、これほど凄まじいコストカットが可能になるからである。
なお、分かり易いように100時間で計算したが、実際の事件はさらにもっと酷い。例えば実際に私が担当した事案では、固定残業代が90時間分を超えている上、最も長い労働者では月平均残業時間約150時間、最長で200時間超という信じられない長時間労働を強いられていた。