婿養子の夫を迎え、両親と同居してきた3姉妹の長女
今回の相談者は、60代の田中さんです。父親の相続をすませたあと、妹たちから遺留分の請求を受けて困っているとのことで、筆者の事務所を訪れました。
田中さんは3姉妹の長女で、婿養子となってくれた夫と、自分の両親と実家で同居してきました。子どもにも恵まれ、3世代で穏やかに暮らしてきたそうです。
田中さんには、同じく60代の妹が2人います。妹たちはそれぞれ20代で結婚し、実家と同じ県内に暮らしています。
「妹たちはいずれも電車で数駅のところに住んでいます。母が元気なころは実家にも顔を見せていましたが、5年前に母が先に亡くなってからは、父親の相手を面倒がって、まったく顔を見せなくなりまして…」
そのような事情から、父親の介護は田中さん夫婦のみで行っていましたが、だからといって、そんな妹たちに不満を感じることもなかったといいます。
「私は長女で、後継ぎです。妹たちは嫁いだ身ですし、ご主人のご両親のお世話もあるでしょう。ですから、仕方ないことだと思っていたのですが…」
敷地面積100坪、建物は鉄筋コンクリート造3階建て
田中さんの実家は、駅から徒歩15分とやや利便性に欠けますが、角地にあり、敷地は100坪と一般的な住宅3軒分もの広さです。また10年ほど前、田中さんの父親と夫と共同名義で、古い木造住宅から3階建ての立派な鉄筋コンクリートの建物に建て替えています。
「実家の土地は、私の祖父が手に入れて守ってきたものです。父親からも、家を守ってもらいたいと、ことあるごとにいわれてきました」
田中さんの父親が祖父から相続した当時はまだ、家督相続の風習が残っていた時代でした。そのため、同居長男だった田中さんの父親がすべての財産を相続したのです。
「家を離れていた叔父や叔母は、最終的にハンコ代程度で相続手続きに協力してもらったそうです。ただ、不服もあったようで、父はかなり苦労したといっていました」
田中さんの父親は、長女に同じ思いをさせないよう、公正証書遺言を作成していました。
そのおかげで、田中さんの父親が亡くなったときはスムーズに手続きができました。また、小規模宅地等の特例により、相続税もかかりませんでした。
父が遺した遺言書は「遺留分の考慮なし」
「ところが、1周忌がすぎたあと、2人の妹から遺留分請求の通知が届いたのです」
公正証書遺言は、父親の強い意思で「自宅の土地、建物を含めた財産の全部を、長女と養子の長女の夫に相続させる」とされていました。父親の遺言書には付言事項もあり、
「長年同居し、面倒を看てもらった長女夫婦に感謝している。先代が苦労して守ってきた土地は売ることなく二人に維持してもらいたい。二女、三女は父親の意思を理解して遺留分は請求しないように」
と書かれていました。
しかし、そんな父親の気持ちは通じなかったようです。弁護士を通じ、遺留分侵害額請求通知が送られてきました。
遺産総額8000万円、妹2人の遺留分は合計2000万円
父親の財産の大部分は、自宅の土地と建物で、評価は7000万円です。預金と株は1000万円ほど。相続人は長女の田中さんと夫、二女、三女の4人ですので、法定割合は4分の1。遺言書があることから、法定割合の半分が遺留分となりますので、8分の1の1000万円が遺留分です。したがって、妹2人に合計2000万円の遺留分を支払わなければなりません。
田中さんの父親は地方公務員、母親は専業主婦だったため、両親の介護や子育てにお金がかかり、まとまった預金を残すことはできなかったようです。
「父の預金は、葬儀や相続税の申告、不動産の名義替えなどで使ってしまいました。いまは半分程度しか残っていないと思います…」
遺留分侵害額の算定は、不動産の「時価」が基準に
相続税の申告の場合、土地は路線価で評価をします。土地6600万円、建物400万円がその評価でした。ところが妹たちの弁護士は、不動産の価格査定書を送付してきて、路線価の1.5倍、9900万円が流通価格だと主張しています。
父親の財産には遺留分に足りる現金がないため、田中さんは自分たちの預金を払い出すことになります。ところが、田中さんの夫は自営業でまとまった預貯金がなく、家のローンも残っていて返済中です。田中さんも専業主婦で、ほとんど収入はありません。
「妹たちの請求に応えようにも、払える状況ではありません。仕方ないので、土地の一部を売却して捻出しようと…」
土地の評価方法には4種類ある
土地の評価の仕方は主に4つあります。
【1】時価
実際に売買された価格のことです。
【2】公示価格
土地取引の目安として使われている価格で、国土交通省が毎年3月中旬から下旬に公表しています。都市計画区域内、全国約2万6,000カ所の標準地の価格が公開されています。1カ所につき2人以上の不動産鑑定士が鑑定した結果を、国土交通省が審査した上で公にしています。
【3】相続税評価
路線価で計算され、相続税路線価とは、相続税・贈与税の算定のために、国税庁が発表している毎年1月1日時点の同一道路上の標準価格(m²あたりの価格)となります。この路線価は、公示価格の80%程度となるように設定されていて、毎年7月1日に発表されます。
【4】固定資産税評価
各市町村(東京23区の場合は東京都)が発表している固定資産税の課税のための標準価格です。公示価格の70%程度となるように設定されています。なお、固定資産税は原則として3年に一度評価替えが行われます。固定資産税評価額は、登記にあたって課税される「登録免許税」や不動産を取得した場合に課税される「不動産取得税」の税額算出のもとにもなっています。
不動産会社は「高く売りましょう」と乗り気だが…
田中さん夫婦は不動産会社に「仮住まいをしつつ土地の一部を売却して、遺留分の支払いと自宅の建て替え費用も捻出したい」と相談したところ、「相場よりも高く売りましょう」というアドバイスを受けました。自宅部分として65坪の角地を残し、残りの35坪を売るイメージです。
しかし、35坪の土地が高く売れると、残りの角地はその1.1倍程度の坪単価がつくと想定されます。そのため、遺留分は妹たちの弁護士が査定した金額よりさらに高くなってしまうのです。
仮住まいをしながら、鉄筋コンクリートの建物を解体・土地を一部売却・遺留分の支払いを実行・残った土地に家を建て直す…というストーリーが理想なのですが、土地の一部売却では遺留分が高額となり、計画通りに進めることができません。
全部売却して時価が決まれば、遺留分侵害額も決まる
筆者と提携先の税理士は、このような事情を伺い、遺留分算定の「時価」を確定するため、土地は一部売却ではなく、いったんすべて売却することをアドバイスしました。
調停が始まれば、早くても1年、価格交渉の折り合いがつかないと2年、3年、あるいはそれ以上となり、時間も費用もかかります。その間の精神的な負担はもちろんですが、土地の「時価」も下がる危険性もあることから、早めに結論を出すことが重要です。
そのためには、土地をすべて売却することで「時価」を確定し、必要以上の時間と費用をかけることなく、遺留分の侵害額を確定させるのです。
土地を売却に伴う仮住まいと自宅解体の費用は、土地の一部売却でも全部売却でも同様に必要です。全部売却は、土地価格が下がる・譲渡税がかかるといったデメリットもありますが、税理士が資金的な計算をしてみたところ、一部売却では費用が捻出できないことが明らかになったため、全部売却の方向で進めることになりました。
父親の「家を残してほしい」という思いは実現できませんでしたが、そもそもの原因は遺留分対策ができていなかったことにあります。
「住み慣れた場所を離れるのは、本当につらいです。いいたいことはたくさんありますが、こうなってはもう、仕方ありません」
田中さん夫婦はこれから先、まずはできることから取り組んでいこうと、前を向いて考えています。
※登場人物は仮名です。プライバシーに配慮し、実際の相談内容と変えている部分があります。
曽根 惠子
株式会社夢相続代表取締役
公認不動産コンサルティングマスター
相続対策専門士
◆相続対策専門士とは?◆
公益財団法人 不動産流通推進センター(旧 不動産流通近代化センター、retpc.jp) 認定資格。国土交通大臣の登録を受け、不動産コンサルティングを円滑に行うために必要な知識及び技能に関する試験に合格し、宅建取引士・不動産鑑定士・一級建築士の資格を有する者が「公認 不動産コンサルティングマスター」と認定され、そのなかから相続に関する専門コースを修了したものが「相続対策専門士」として認定されます。相続対策専門士は、顧客のニーズを把握し、ワンストップで解決に導くための提案を行います。なお、資格は1年ごとの更新制で、業務を通じて更新要件を満たす必要があります。
「相続対策専門士」は問題解決の窓口となり、弁護士、税理士の業務につなげていく役割であり、業法に抵触する職務を担当することはありません。