食べ方を意識するのは、相手がいるときだけでいい?
「正しいマナーで食べる」ということにとらわれていると、ついつい見過ごしがちですが、「食べる」という行為は、生きるための行為です。
動物は外から栄養を補わなくては、生命を維持できません。その「食べる」という動物的な行為が、知能の高い人間によって文化・文明として発展し、そのなかで生まれた美意識から確立されたものが食事のマナーというわけです。
それでもなお、「生きるために食べる」という食の機能は変わりません。
ですから、食をないがしろにすることは、生きることをないがしろにしているのと同じ。日々の糧を目の前にしながら、真摯に向き合わずに何となくお腹を満たすのは、何となく生きるのと同じ。そう考えても、決して大げさではないでしょう。
本書では、「マナーは周囲への配慮である」と繰り返しお伝えしていますが、「美しく食べること」を意識していただきたいのは、誰かと一緒に食事をするときだけではありません。
まわりに他者がいなくても、目の前の料理と真摯に向き合い、丁寧に食べる。
なぜなら、そこには、この世で一番大切な人がいるからです。
もう、おわかりでしょう。それは自分自身です。
誰よりも大切な自分自身のために、何となく食べて何となく生きることをやめて、真摯に愛おしむ時間にしていただきたいのです。
「いただきます」「ごちそうさま」から始まる
私たちは1日に3回、食事をします。つまり、食を通じて自分自身に目を向け、生きることに向き合うチャンスが、日ごと3回もあるということ。このチャンスをみすみす逃す手はありませんね。
食事の時間は、大切な自分自身と、その大切な自分の命の糧の両方がそろう時間。
このように心得て、毎日の食事に丁寧に向き合うようにしていきましょう。
「何を食べるか」だけが問題なのではありません。何であれ「いかに食べるか」を常に意識することで「食べる」という行為が磨かれ、ひいては生き方にも磨きがかかっていくのです。
何も難しく考える必要はありません。たとえば1人で食事をするとき、「いただきます」「ごちそうさま」と声に出して言っていますか? まずは、こういうことから心がけるだけでも大違いです。
「食べる姿」はビジネスパーソンの評価に直結する
「食べる姿」は他人の心にしっかり焼き付いています
マナーというと「どう振る舞うか」というノウハウの部分にフォーカスされがちですが、本当に重要なのは「意識」であると私は考えています。
生きるための三大欲求「食欲・性欲・睡眠欲」のうち、他人に見られ、大人数の人と共に空間や時間を共有し、人間性や社会性が問われるのは「食」だけです。
無意識に何となく食事をしている人で、美しい食べ方ができる人はいません。
今、自分はどんな食べ方をしているのか、美しい食べ方とはどういうものか。
まず自分の現状に気づき、そして「変えていこう」という意識があって初めて行動が変わり始めます。意識の変容が、「どう振る舞うか」というマナーのノウハウを身につける土台となるのです。
特に食べ方においては、「現状に気づき、変えていこうと意識する」ということが、比較的難しいものです。
なぜなら、自分の食べ方を自分で見ることはできないからです。
たとえば「きれいな字を書けるようになりたいから、ペン習字を習おう」というのは、多くの場合、自分の字にコンプレックスがあるからでしょう。自分で書いた文字は嫌でも自分の目に入ります。つまり「自分の現状に気づき、変えようと意識する」という意識変容が起こりやすいといえます。
ところが「食べ方」となると、そうはいきません。
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