ダイエットとリバウンドを繰り返すワケ
この情報化社会である。実は理論理屈はみんなわかっている。若い女性(から還暦オヤジまで)が、それでも結局は減量に失敗するのはなぜか。ダイエットとリバウンドを繰り返すのはなぜか。
「なんとなく痩せたい」「なんとなく太っているのは罪悪」(オヤジならなんとなくデブは不健康)と漠然と考えているからだと思う。いわば意味も根拠もなく、現代では痩せることが幸福の象徴となっている。体重50㎏より49㎏の方が1㎏だけ幸福。
実は、これはごくごく最近の感覚だ。
歴史を見るまでもなく、美食(グルメ)と大食(グルマン)は富と権力の象徴だった。結果、太っていることは豊かさそのものだった。「恰幅がよい」は少し前までの日本でもオヤジへの褒め言葉だ。痩せていることが美しく知的で豊かというのは人類史ではこの50〜100年くらいのことに過ぎない。進化論的にはほとんど「気の迷い」だ。自然の生理と人類の歴史に逆らうのだから、痩せるのが難しいのも当然だ。
■太るのは「それぞれの不幸」か
ちなみに日本では戦後の混乱が終わり、昭和30年代の高度経済成長期からダイエット=痩身ブームが始まったとされる。確かに、還暦世代ならミニスカートの女王と呼ばれた英国モデル、ツイッギー(小枝)の来日は記憶にあるだろう。
一方、アメリカでは、すでに1945年に国際ボディビルダーズ連盟(IFBB)が創立され、昭和30年には日本ボディビル協会(1982年に日本ボディビル連盟と改称)も発足している。ただ太っていることだけが豊かさではないという文化は、このあたりで生まれてきたようだ。
と、同時にこの頃からすでに痩せ過ぎへの危惧も生まれる。
トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭はこう始まる。
「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」 (望月哲男訳 光文社古典新訳文庫)。
多分、若い女性にとっては痩せている女性は、痩せているというだけで誰もがみな幸福に見え、太っている女性は、太っているというだけで性格が悪い、頭が悪い、意地が悪い、洋服のセンスがない、化粧のセンスがないように見える。だからモテない。という「それぞれの不幸の形」を抱えていると見えてしまう。
ハッキリとは言わぬが、「痩せないと不幸になるわよ〜」と、煽ったのは誕生したばかりの女性週刊誌だった。この動きは今も変わらない。
トルストイの言葉は本当だろうか。トルストイに逆らうのは申し訳ないけど、分別のある大人なら、そうは考えない。そもそも幸も不幸も一時の状態に過ぎない。永遠に幸福なことも永遠に不幸なことも起こり得ない。
すべては自分の捉え方ひとつ。体重と同じで増えたり減ったりでいいのだ。太めなら増量期で筋力に余裕があると喜べる。痩せたなら減量期で筋肉のキレがよくなったと喜べる。そう思えるようになったのも筋トレの成果ではある。
しかし、そればかりでは何の変化も起こらない。永遠にシックスパックはやってこない。やっぱり食事で絞ることは欠かせないのだ。
では失敗しないダイエットはあるのか。
城 アラキ
漫画原作家
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