“お前、弟と走れ!”…筆者が幼いころ受けた「屈辱」
子供の頃から周りの誰かと比較され、自分のできないところを指摘され続けてきた大人はとても多いです。私も子供の頃、そんな指導を受けたことがあります。
ここでは、私の少年時代の体験とそこから得た気づきについて書きます。
私が1番つらかったのは人と比べられること、中でも2歳年下の弟と比べられることでした。弟は私と違って運動神経が良く、小さい頃から足も速くすばしっこい子でした。
小学校の頃、所属していた軟式野球チームでベースランニングが毎回ありました。ダイヤモンド1周を2人で競争するもので、ある時チームの監督から「お前(私)、弟と走れ!」とニヤニヤしながら言われました。
周りの友達も笑いながら「走れ走れ!」「負けたら罰ゲームな!」などとはやし立てます。その時の屈辱、今でも忘れません。
そこに監督の「愛」や「何のために=目的」があれば私もこんな感情にはならなかったでしょうが、ただ遊びに利用された、見世物にされたとしか感じられませんでした。
結果は負け、友達も監督も大爆笑、弟は横で無邪気にガッツポーズ……。
私が「野球やめようかな」と思った瞬間でした。本当に涙が出そうで、しかし泣くともっと恥ずかしいので必死に耐えていました。
その時、1人のコーチがグラウンドの隅に私を呼んでこんな話をしてくれました。
“いまは太い根っこを作れ”…1人のコーチの「金言」
「つらかったなぁ。よく頑張ったぞ。お前は身体が小さいし不器用やけど、高校生になったら絶対にすごい選手になるで。オレにはお前の未来が見えるんや。だからな、今は我慢して太い根っこを作れ。そしたら最高に大きい花が咲くぞ!」
それまで耐えていた私でしたが、この言葉を聞いて号泣してしまいました。
見世物にされた悔しさ、弟に負けた屈辱に加えて、分かってくれる人がいたことの嬉しさがごちゃ混ぜになって、ワンワン泣きました。
たった1人、私の悔しさを分かってくれた。それだけじゃなく、私の可能性を信じてくれた、私の将来を見せてくれた、それが嬉しくて嬉しくてひとしきり泣きました。
この時にいただいた言葉はもちろん、その時のコーチの顔や声、グラウンドの風景、すべて今でもありありと目に浮かびます。
そしてこの言葉は、それからの私の支えとして、ツラいことがあった時にすぐに頭から引っ張り出してきては自分を勇気づけてきました。そして、そのうち段々と自分の可能性について本当に信じられるようになっていきました。