(※写真はイメージです/PIXTA)

ネットが普及して、多くの情報が溢れています。そのなかから本当の事実を見極めるのは簡単ではありません。どう対処したらいいのでしょうか。ジャーナリストの岡田豊氏が著書『自考 あなたの人生を取り戻す不可能を可能にする日本人の最後の切り札』(プレジデント社、2022年2月刊)で解説します。

情報にはウソやバイアスが紛れ込む

■「情報リテラシー」事実を見極める具体的な方法

 

世の中にあふれる玉石混交の大量の情報の中から、本当の事実を見極めるのは簡単ではありません。自分の頭で考え、自分で判断し、本物か偽物かをその都度見極める覚悟が必要です。

 

私が市民個人として情報を扱う場合の例を参考までにまとめてみました。仕事上の業務としての判断や考え方は多様で複雑なため、なかなか固定的な表現が難しいのが実情です。そのため、ここではあくまで私個人の情報との向き合い方に限定しておきます。

 

私は、まず情報を概ね、次の3つの箱に整理します。

 

①「事実」
②「事実の可能性が高い準事実」
③「事実かどうか確認できない情報」

 

ただし、明らかなフェイク情報は対象外とします。

 

①事実

・現場で、または当事者などから、自分の目と耳で直接見聞きして確認できた内容

 

②事実の可能性が高い準事実

・本当に信用できる人から直接確認できた情報
・当局や上場企業が発表した情報のうち事実と思われる内容
・大手メディアが流した情報のうち事実と思われる内容
・インターネットやSNSの情報のうち事実と思われる内容

 

③事実かどうか確認できない情報

・当局や上場企業が発表した情報でも怪しい内容
・大手メディアが流した情報でも怪しい内容
・インターネットやSNSの情報のうち怪しい内容
・信用できる人の情報だが、信じ難い驚くべき内容
・自分で確認しようがない過去の歴史・史実

 

私は、すべての情報に対して、ウソや“バイアス”が紛れ込んでいる可能性があるという前提で向き合います。基本的には、①のように、自分で現場で見聞きするか、当事者に直接確認したこと以外、本物の事実として認識しません。

 

扱いが難しいのは②の「準事実」です。世間では事実として流れている性格のものですが、私個人は「事実の可能性が高いが疑う余地もある」と解釈しておきます。

 

私は、本当に信用できる人から情報を聞き、仕事にも活用してきました。しかし、その人に私が利用される可能性もあるということを、常に頭のどこかに入れています。当局や上場企業、大手メディアが出した情報は、万が一、ニセモノだった場合、当事者に責任を取ってもらうという消極的な“保証”があると解釈し、おかしいと感じる情報以外は、基本的には事実として扱うことを容認しています。

 

ただ、これにもどこかに疑いの余地を残すようにしています。ネット上に流れている情報や画像は、特に厳しい見極めが必要かと思います。アメリカ大統領選挙で流されたフェイク情報の教訓から言えば、かなり巧妙な仕掛けが施されている情報もあるでしょう。

 

③「事実かどうか確認できない情報」のうち、過去の歴史や史実については、教科書に載っている内容でも個人的には確証を持ちません。当時の為政者らの一方的な価値観で書かれた史実も多いだろうと推測されるからです。

 

事実、真実かは別として、それらは、あくまでも教科書や歴史書に掲載されているレベルの内容であると個人的には整理しています。

 

次ページ複数の媒体を比較検討すべき理由

本連載は、岡田豊氏の著書『自考 あなたの人生を取り戻す不可能を可能にする日本人の最後の切り札』(プレジデント社、2022年2月刊)より一部を抜粋し、再編集したものです。

自考

自考

岡田 豊

プレジデント社

アメリカでの勤務を終えて帰国した時、著者は日本は実に息苦しい社会だと気付いたという。人をはかるモノサシ、価値観、基準の数があまりにも少ない。自殺する人があまりにも多い。笑っている人が少ない。他人を妬む。他人を排…

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