「情報リテラシー」は重要な基礎的能力
■「情報リテラシー」の普及が急務、思考力を高めるために
「情報リテラシー」の定義について、ここでは「『受け手』が自己責任で情報を見極める行為など」としたいと思います。「メディア・リテラシー」という言葉もあって、メディアが出す情報をそのまま鵜呑みにするのではなく、メディアの行動や機能を理解したうえで、その情報を主体的に見極め、批判的に評価する能力のことを意味します。
アメリカでは「情報リテラシー」や「メディア・リテラシー」の普及が進み、市民の間には、自己防衛手段として「リテラシー」を自ら身に付ける必要があるという認識が広まっています。ここでは、より広い概念の「情報リテラシー」という言葉を使います。
もはや、「情報リテラシー」は漢字の読み書き、算数の足し算や引き算に匹敵するほど、重要な基礎的能力になっているのではないでしょうか。「情報リテラシー」は、インターネット上の情報がウソか本物か見極めたり、メディアによる不作為の誤報や情報操作、不要な忖度をチェックしたりできる力です。
こうした批判的な思考力や広く深い思考力を身に付けるリテラシーが広がれば、市民に直接有益になるだけでなく、ネット情報やメディア情報の質が高まる効果が期待されています。
「情報リテラシー」を普及させる主体として期待されるものを以下に挙げてみます。
①〔学校(小中高)〕
学校が授業で本格的に情報リテラシーを教えるようになれば、その意義は大きいと思います。政府がその重要性を認識し、文部科学省を通じて、本気で取り組む効果は大きい。現在、学校で実施している情報教育の主眼は「情報モラル」に置かれています。
そのテーマは、ネット依存、ネット詐欺、写真・動画の扱いに伴うトラブル、SNSへの投稿内容をめぐるトラブル、不適切なコミュニケーションなどです。
こうした問題を防ぐための教育に重点が置かれ、批判・批評的な思考を取り入れた情報リテラシー的な要素の導入は、アメリカに比べ、遅れています。高校などで情報リテラシーの要素を授業にしっかり取り入れることが重要になってくるかもしれません。ただ、学校で扱う場合、権力のチェックというテーマを、政府が主導する学校で教えるのには一定の限界が生じてくるでしょう。
②〔大学〕
情報リテラシーだけでなく、メディア・リテラシー、ニュース・リテラシーといったジャンルもありますが、そうしたリテラシー教育や情報発信をめぐって、日本では概して大学のリーダーシップがまだまだ乏しいと感じています。大学は、この分野の教育、研究、情報発信において、社会をリードする核になるべきだと考えます。