反プーチン派ジャーナリスト、ゲッセンの記録
プーチンを非難してきた著名なジャーナリストの一人に、マーシャ・ゲッセンがいる。彼女はユダヤ系の出身だ。1967年にモスクワで生まれ、81年にアメリカに移住した。
ソ連崩壊直後の91年末にロシアに戻り、アメリカとロシアの二重国籍をもつジャーナリストとして活躍してきた。プーチン政権に対する批判を強め、2013年5月に拠点をアメリカに移してジャーナリスト活動を続けている。
12年9月、ゲッセンはクレムリンでプーチンと面会した。会談の記録を読むと、独裁者としてのプーチンの実態が浮き彫りになる。
当時、ゲッセンは『世界を巡る』という科学雑誌の編集部に勤務していた。ペスコフ大統領報道官から「西シベリアの鶴を野生に戻すときに、プーチンがハンググライダーで一緒に飛行する。それを取材してほしい」という要請があった。
プーチンのイメージアップを狙った「やらせ記事」なので、ゲッセンは断った。するとプーチンから直接アプローチがあった。
〈翌日(9月2日)の早朝、私は面談取材の仕事でプラハに飛んだ。私はタクシーの中で疲れて、車酔いした。私の電話が鳴ったとき、どこにいるのかわからなくなった。男性の声が電話を切らないように求めた。2分間、私は沈黙を聞かされ、いらついた。
「電話を切らないで。私がつなぐから」と先ほどの声とは違う男性の声が耳に入った。私は爆発した。「私は誰かに電話をつなぐように頼んだ覚えはないわ! どうして私が待たねばいけないの? 私に電話したいと言っている人は誰なの? あなたは自己紹介したいの?」。
「プーチンだ。ウラジミール・ウラジーミロヴィッチだ」と電話の向こう側から大統領の声がした。「君がクビになったというのを聞いたよ」と彼は続けた。
私はこれが悪ふざけであるかもしれないという実感を、彼が何やら言っている間に、大急ぎで彼に何らかのメッセージを組み立てて話そうとした。
「はからずも君がクビになったことについて私はあずかり知らなかった。ところで、私の自然保護活動の取り組みは、政治と分離しがたいものであることを知っておくべきだ。私の立場になれば、自然保護と政治を分離することは困難なのだ」
この独特の言い回しは、大統領職で威圧しながら、同情を求めるプーチンのお家芸として長らく結びつけられてきたものであった。
「もし異論がなければ、私は我々が会ってこの問題について話し合うことを提案する」と言った。
「異論はありません。しかし、これが悪ふざけでないと私はどうしたらわかるのでしょうか?」
プーチンは打ち合わせを手配する電話を私が受けることを約束させ、そうすれば自分が打ち合わせに現れると約束した〉※
※ マーシャ・ゲッセン/松宮克昌訳『そいつを黙らせろ──プーチンの極秘指令』柏書房、2013年
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