「独裁」に等しいプーチン政権を正当化する学校教育
プーチン政権の誕生について、この教科書の記述を見てみよう。
〈ロシアの第2代大統領となったウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンは、1952年10月7日に生まれた。レニングラード国立大学法学部を卒業したのち、1975〜1991年まで国家保安機関に勤務した。1991〜1996年までサンクトペテルブルク副市長を務め、その後、ロシア大統領府へ転属し、短期間のうちに大統領府副長官に上り詰めた。
1998年にプーチンは連邦保安局(FSB)長官に任命され、1999年の夏にはロシア連邦首相に就任した。
2000年3月26日の大統領選挙で、V・V・プーチンは、第1回投票で勝利を獲得し、ロシアの第2代大統領に選出され、同年5月7日に大統領に就任した。(中略)
V・V・プーチン大統領は、ロシアにおけるあらゆる進歩的改革を保障する強力な国家権力の推進者であることを鮮明にした。したがって、新大統領の最初の方針は、社会活動における国家の権威と役割を強固にし、しかるべき秩序をもたらすことに向けられた。
こうして、1990年代に行われた民主主義路線はこれまで通り継承された〉
プーチンが、KGB(旧ソ連国家保安委員会)出身で、〈社会活動における国家の権威と役割を強固にし、しかるべき秩序〉をもたらしたことを強調している。
具体的には、中央集権の強化だ。プーチンは、ロシアを構成していた諸連邦を七つの管区に集約し、各管区に大統領全権代表を置いた。
それまで連邦会議(上院)は、各連邦の知事と議会議長から構成されていた。それが立法機関からの選出と、プーチンが指名した行政の長によって任命された地方の代表者によって構成されるようになった。
さらには
地方の自治権を取り上げて、中央集権制を強化することをプーチンは「法の独裁」と名づけた。教科書では、プーチンが好んで用いた「法の独裁」という言葉を記録していない。スターリン時代に「プロレタリアート独裁」の名の下で、大規模な人権弾圧が行われたことを彷彿させるからだろう。
地方が採択した法令の8割が変更されるというのは、統治の「ゲームのルール」の大きな変化だ。知事選挙も廃止し、中央政府による任命制になった。さらに検察、警察、FSBなどの「力の省庁」を用いた統治メカニズムが導入された。
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