昭和50年代、名古屋の賃貸業をメインとする不動産会社で、入社間もない若手営業マンが社長のムチャぶりで刊行した「住宅情報雑誌」は、紆余曲折を経ながらも、着実に販路を拡大し、発行部数を増やしていきました。そして、創刊5年目にして転機が訪れます。編集部を増員し、月2回発行体制になりました。時を同じくして、ライバル誌も続々と参入してきました。そんななか、最終的に勝敗を決定づけたものとは…。

月刊から「月2回刊」 編集体制パワーアップ

「アパートニュース」は創刊5年目となる1981年7月1日号から、いよいよ月2回発行となることが正式決定しました。ボリュームは144ページに増量し、掲載地域は岐阜支店、藤ヶ丘支店が新たに開設されたため名古屋郊外へと着実に広がります。

 

編集部はこれまでにも順次編集部員を増員し計4名になっていましたが、4月度に待望の新卒女子社員の前田さんが加わることになりました。

 

原稿〆切、校正業務、沿線売店への「アパートニュース」の直納に加え、編集期間の短縮など業務が密になっていきました。

 

月に2回刊は新規取扱物件を早く掲載できるため、次々に入居が決まり、営業支店の仕事の回転率が上がります。また引っ越しを検討している購読者も「前号で気になっていた物件はまだ残っているか。もっと良い物件が見つかるか」と連続して購入する傾向が出てきます。

 

支店の営業マンも顧客応対をしていて、2冊3冊と購入する熱心な顧客が多いことや、先号の掲載物件と対比しながら新規の物件探しをしている顧客がいることを直に感じるようになり、顧客の様子を編集企画課にフィードバックしてくれるようになりました。

 

「アパートニュース」を軸として営業活動が活発に回っていることが、売れ行きや契約件数の数字だけでなく、現場の肌感覚としてリアルに体感できたことは営業マンたちにとって大きな意味をもちました。自分たちの武器が増えたことで、自信をもって営業できるからです。

ライバル台頭するなかブランド成功

「アパートニュース」が快調に売れるようになった頃に、予想どおり他社の賃貸住宅情報誌・東海版が発刊されました。ただR社のものは分譲マンションや建売物件がメインで賃貸ページは少なかったので、あまり影響はありませんでした。

 

賃貸専門の類誌も相次いで出てきましたが、こちらも直接的な影響はなかったといえます。他誌の売れ行き状況を調べても心配するほど伸びてはおらず、書店の話を聞いても「客は珍しさでいろいろな賃貸住宅情報誌を手に取ってみるが、結局は『アパートニュース』を買っていく」とのことでした。書店の人が言うことは信頼がおけると思っていたので安心しました。

 

やはり先発誌としての知名度と真摯な編集体制、物件の豊富さが勝っていたことが読者に通じているのだと確信しました。

 

誰でも最初は新しさで目移りしますが、最終的には1つにおちつきます。そのとき選ばれるのは「いちばん安心できるもの」「いちばん信頼できるもの」「いちばん役に立つもの」「いちばん親しみのあるもの」です。その点「アパートニュース」はライバル誌が登場する前にこれらを確立できていたので、読者の人気を勝ち取ることができました。

 

その後も類誌は登場しては消えていき、また別の誌が登場しては消えていきで長続きするものはなかったと記憶しています。

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    加治佐 健二

    幻冬舎メディアコンサルティング

    メーカーから転職して1976年に28歳で営業職として入社し、充実した日々を送っていた筆者。 その矢先、突然社長と常務から呼び出され「東海エリア初の賃貸住宅情報誌の創刊」を命じられたのです。 そして右も左も分からな…

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