運命を好転させた「編集プロダクションとの出会い」
雑誌の販路を求めて動き回っていた4月中旬のことです。取引のあるM社から広告の制作や雑誌編集をしている社長と引き合わせてくれるという話が突然舞い込みました。私が行き詰まっていることを知って「何か力になれるなら」と紹介してくれたのです。
その社長というのが広告制作・編集プロダクションであるユリイカの高見社長です。高見社長は私と同じ29歳で石川県出身で、4名いる社員も全員が20代という若い会社でした。
私は自分が本作りの初心者で制作手順や業界の仕組みなど何も知らないこと、今は販路の確保に奔走しているが玉砕していること、第1号の出版が2ヵ月半後に迫っていて焦っていること、ほかに頼れる人がいないことなどをすべて打ち明けました。
編集プロダクションのメンバーは私の無謀な計画に驚きつつも面白がってくれて、「協力しましょう」と快い返事をもらうことができました。「これで道が開ける」と、私は百人力を得た気持ちになったのです。
その後は何度も打ち合わせを行い、私のなかにある雑誌のイメージを具体化していきました。雑誌のコンセプトはどうするか、構成は何ページにするか、効果的な物件情報の見せ方は、雑誌の名前は、など決めることがたくさんありました。
東海圏(名古屋を中心としたその周辺地域)は首都圏に比べて人口も交通網も少ないため、売り場はまず書店を主体にして徐々に通勤沿線の売店へ販売網を広げていくことが理想でした。
また、誌面は物件の正確な間取図、最寄駅からの案内図、写真を多用して見やすく探しやすくする工夫をして、家賃や入居に必要な礼金・保証金などの内訳と部屋の特徴を表すキャッチフレーズを明記するなど、部屋探しをする人にとって親切で有益なガイド誌を目指しました。
企画が具体化していくにつれて編集プロダクションのメンバーが熱くなっていくのが分かりました。ちょっとした誌面の見せ方のアイデアやデザインなどさすがプロだと感心したり、プロはこうやるのかと勉強になったりする場面が数多くあり、いつしか私も編集プロダクションの一員のような気持ちになっていき、毎回の打ち合わせが楽しみでもありました。
プロの知恵と力を借りてどんどん雑誌の骨組みができていくに従い、私の販路開拓の営業にもいっそうの熱がこもっていきました。「いい本を作ってみんなに届けたい」という一心で、断られても何度も何度も交渉に足を運び続けたのです。
加治佐 健二
株式会社ニッショー 代表取締役社長