政治的に大衆を支配する中国共産主義
マルクス主義の教義からすれば、ソ連のほうが真面目だと言えます。マルクスの言うとおり、生産手段は公有化しないといけないと信じ、実際に公有化しましたから。しかしながら、「公有制」というのは皮肉なことに「みんなのもの」という概念を希薄にします。
卑近な例を挙げると、マンションや公園、会員制ゴルフ場は部分的にせよ「私のもの」という考え方があるからこそ、利用者は大事にするのです。自分のものにはならないのであれば、人々は概して無関心になり、権利意識がなくなります。そこで権力者が生産手段をほしいままにする余地が生まれるのです。
ソ連では、権力者は国家権力即ち共産党の幹部です。共産党が生産手段を独占し、消費者利益を無視する結果になってしまう。消費者でもある労働者大衆による「公有」原則は換骨奪胎されたのです。
いまの中国で大問題になっている党幹部の汚職、腐敗の横行は、こうした共産党独裁体制の矛盾の表れです。中国では共産党があらゆる行政権限を握っているし、土地も「公有制」です。地方の土地の使用権を期間限定で売買する権限はその自治体を牛耳る党幹部が持ち、乱開発し、業者からの賄賂をフトコロにするのです。それでも、ソ連型停滞を免れたことは認めざるを得ません。
中国は1949年10月1日の中華人民共和国建国宣言以来、毛沢東がレーニンとその後継者であるスターリン型社会主義を目指しました。農業は人民公社、工業や金融は国有という体制です。
毛はもっぱら農村を中心にした共産主義社会の実現に執念を燃やし、1950年代末から60年代初めにかけて「大躍進政策」を敢行しました。人民公社に組み込んだ農民にあらゆる鉄器具を供出させて、農村各地でにわか仕立ての溶鉱炉をつくって鉄鋼生産大国を目指しましたが、産出されたのは使いものにならない屑鉄ばかりでした。
農機具を失った農業生産は壊滅的打撃を受け、2000万人以上が餓死する大災厄を引き起こしました。
この失敗のためにいったんは最高権力者の座から降りた毛沢東は、それでも共産主義実現に執念を燃やします。それが1966年から76年まで続いた「文化大革命」です。
毛は若者たちを扇動して紅衛兵組織をつくりあげます。そして資本主義原理を部分的に取り入れて経済再生を目指す劉少奇国家主席ら党内のライバルや資産階層、知識人らを「走資派」と呼び、紅衛兵につるしあげさせ、死に至らしめました。これによる死者の数は大躍進政策の犠牲者とほぼ変わらないほどです。
こうした一連の毛沢東主義の大失敗を教訓にして、文化大革命終了後に打ち出されたのが、最高実力者鄧小平による改革開放路線です。
この路線では、共産党が牛耳る政府が生産手段を占有、支配する基本原則を堅持したうえで、経済活動の大半は自由市場経済原理に基づいて動かすことを容認しました。要するに政治的に大衆を支配すればいいと割り切った。だから、党総書記が頂点に立つ共産党の中央委員会があらゆる政策をまず決めたうえで、政府がそれをそっくりそのまま踏襲した政府案とし、共産党が指揮する全国人民代表大会が承認する形をとっています。
ただ、鄧小平は党幹部の定年制を定着させると同時に、国家主席は2期10年と定め、毛沢東のような永久独裁者を生み出さないようにしました。その遺訓を廃棄して、毛沢東のような皇帝の再来を目指しているのが、現在の習近平党総書記・国家主席です。
田村 秀男
産経新聞特別記者、編集委員兼論説委員
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