資本主義はいずれ限界にぶち当たる
■マルクスの理想とソ連
最近マルクスがまた注目されているようです。少し乱暴ですが、マルクスの主張を簡単に言うと、資本主義は発達していっていずれ限界にぶち当たります。私的資本、つまり資本家が生産手段を支配し、労働者階級を搾取する資本主義は国際化しつつ、少数の巨大資本による市場独占に向かいますが、社会全体で公有すべき生産手段の私的資本への集中は内部矛盾であり、経済の膨張とともに矛盾が噴出します。
つまり人類社会での窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度合いがひどくなるというのです。そして搾取される労働者階級は、資本主義のグローバル化とともに幅広く組織化され、資本家を打倒する革命によって高度に発展した生産手段の公有化を実現し、資本主義の矛盾を解消させる……これが共産主義革命というわけです。
それをまともに受けとめたのが、レーニンのロシア革命によって成立したソビエト連邦です。ロシア自体はイギリスなど西欧に比べて資本主義の発展度合いは遅れている辺境でしたが、グローバル化した資本主義に組み込まれているのだから、共産主義は実行できるというわけです。
共産主義はすべてが公有制ですから、私的な利益追求は原則として許されません。ただ「公有」と言いますが、要するにプロレタリアートを代表する共産党が支配する。言い換えると共産党独裁による強権が主導する国家がすべてを仕切って所有するのです。
しかし、これらはあくまでもマルクス流イデオロギー上の理想でしかありません。現実問題として、これでは学び、働き、投資して豊かになろうとする個々人のインセンティブがなくなってしまいます。結果、経済成長はできなくなります。現実の市場経済では、個人は勤労者であり、資産の保有者であり、資本家にもなれる多面性を持つのです。そうした現代社会の多様性、個人の稼ぐ自由を圧殺するのが共産主義イデオロギーです。
ここでは商品経済も金融経済も否定しますから、市場原理が働きません。そうするといろいろな資源(ヒトも含みます)の有効配分ができなくなります。市場に任せると、あるとき、あるモノが必要とされ(消費者のニーズ=需要)、それをつくるには資本が必要だとなると、資本が移動して投資が起こり、供給ができます。
それで消費者のニーズに応えられます。ソビエト型社会主義経済はそれができなかった。先行きに皆目見当がつかないから、経済は計画に則って動かすことになります。
すべて計画に則りますが、モノの価格はつけざるを得ません。それをルーブルで表示する際に、どれだけの労働を投入したか、即ち労働の投入量によって決めました。このような「商品の価値はその商品の生産に費やされる社会的必要労働量により決定される」とする考えは、労働価値説といいます。