同調圧力を形成する「人は皆平等」の考え方
■人は集団の圧力に弱い
人が複数人集まって何かしらの活動を行う場合、その集団には「同調圧力」と呼ばれる力が働きます。
同調圧力とは「周囲の人と、同じように考え、行動するよう暗黙のうちに強要すること」です。会社は、「同じ志の下、一丸となって会社の売上に貢献しよう」という組織なので、どうしても同調圧力が働きやすくなります。
同調圧力は集団の結束力を高める大事な要素である半面、行き過ぎると、
「同じ空間で同じ時間働きましょう」
「会社が苦しい時は皆で苦しみましょう。陰で楽をするようなことは許さない」
など、多様性が認められず、息苦しい組織になる原因にもなります。
この同調圧力を形成するもとになるのが、「人は皆平等」という考え方です。
「平等」と聞くと差別のない平和な世界のようですが、裏を返せば同僚の中で誰かが頭一つ抜きんでることや、1人だけ楽をすることは許されない、ということも含まれます。
いくら同じ会社の社員、同期であっても、人はそれぞれ異なる能力、個性を持っています。得意分野も違えば、出せる成果も当然変わってくるでしょう。
にもかかわらず、その「差」に対して嫉妬心を燃やし、
「あいつはずるがしこいやつだ」
「あいつは協調性がない」
などというレッテルを貼ろうとするのです。
一方、嫉妬心を向けられる側も、余計なやっかみを避けようとするあまり無理して足並みをそろえ、「同調圧力」に屈してしまうことも少なくありません。
心身の不調を訴え、医師から仕事を休むよう診断されていても、
「皆しんどい思いをしているのに、自分1人病気になって休むのは許せないと思われるんじゃないか……」
と考えて休職を躊躇する方などは、「同調圧力」に振り回されている典型的なパターンでしょう。
私たち日本人は、幼少期からさまざまなシーンで、和を乱してはいけない、人に迷惑をかけてはいけないなど、周囲と同じように振る舞うことが求められます。
特に、学校教育でみんなと同じようにするのがいい子だと叩き込まれているため、職場という「個々の能力を存分に発揮してよい場」でも、周囲にあわせなければならないという心理が働いてしまうのです。
たしかに、人は「人間としては」皆平等です。
しかし、それぞれの「能力」には個人差があって当然なのではないでしょうか。組織の一員である限り、業務遂行のために、ある程度は周囲と協力して業務にあたることは必要でしょう。
しかしそれは、せっかくの能力を隠してまで周囲と足並みをそろえたり、常に同調圧力に従わなければならないということではありません。
同様に、周囲より劣っているところがあるからといって、体を壊すほど無理をしたり、自分を卑下する必要もないのです。
このことは、一緒にランチに行く、同僚たちと週末に会うといった、業務以外のことにも当てはまります。
あなたが職場の人たちと協調すべきなのは、あくまでも業務においてです。
プライベートな時間まで、過度に周囲にあわせる必要はありません。自分の意思を尊重して行動していいのです。