卵の特性に合わせてを提案営業で売る
■たまごのソムリエが挑む提案営業
中小企業が大企業にいじめられる主因は、売り上げの過半を一社に依存しており、バイイング・パワーで圧倒されるからである。それは製造業に限らず、流通業においても同じである。
徳島市に本社を置く小林ゴールドエッグは、養鶏業者から卵を仕入れてスーパーや飲食店に販売する「グレードパッキングセンター」と呼ばれる業者の一つだ。イセ食品に代表される大手鶏卵業者が次第に市場を席巻しつつある中、同社は2018年度で売上高3億4000万円ながら、独自の経営戦略で着実に業績を伸ばしている異色の会社でもある。
名古屋大学を卒業、大手食品メーカーの研究員としてヒット商品を開発した経験を持つ社長の小林真作氏が、04年に父親の逝去にともない帰郷したことが、実は同社の大きな転機になっている。研究者らしく徹底的に卵のデータをとったところ、鶏の種類、月齢、餌などによって、卵の特性が全く違うことがわかった。黄身の濃淡、味わい、白身と黄身の比率などなど。
「仮にケーキ作りに味わいの濃い卵を使うとクリームなどの味わいが消されてしまい、逆にすき焼きなどは、卵の濃厚さが肉と混ざり合ってさらにおいしく感じられます」
ということで、これまでは単純に大中小の大きさだけでパックし販売していたものを、卵の特性に合わせて、洋菓子店、レストラン、和食の店と出荷先を分け、商品説明しながら「提案営業で売ることにしたのです」という。もっとも社員の間では、感覚的にこの卵はあそこの店向きということがあって、そうした売り方をしていた。小林氏は、それを「見える化」したと言えなくもない。
小林ゴールドエッグは「おいしさと健康の提供業」と自社を位置づけ、なおかつ顧客に向けては「繁盛提供業」と謳っている。商品に合った卵を提供することで、その店の味づくりを応援しているという意味であろう。
事業を承継した後、一時売り上げは伸び悩み、通信販売などに乗り出すが必ずしも成功しなかった。しかし、ここ数年盛り返しつつあり、粗利は最盛期に並びつつあるという。都内や名古屋の有名親子丼店をはじめ、顧客は九州から秋田まで1600軒にまで広がっている。
最近、ピーク時には売り上げの四十数%を占めていた県内のスーパーが廃業した。
「直近では6%まで下がっていましたが、従来のような数字だったらと思うとぞっとします」と小林氏は首をすくめて見せる。
はからずも一社依存から脱却し得たことによる、余裕と言えるかもしれない。
森合精機にしても、浜野製作所にしても下請けの厳しい環境をバネに「脱下請け」に挑み、それなりに成果を上げてきた。最後に一社、やはり下請けから脱却、自社ブランドを確立、有名企業に転換した事例を紹介しよう。未来工業などと同様、「日本でいちばん大切にしたい会社」に選ばれて、評価の高い徳武産業がその会社である。
徳武産業のことは、この後の章で詳細は記すので、ここでは同社の概況と大きく路線転換するに至った経緯のみ記しておこう。徳武産業は香川県に本社を多く、資本金1000万円、最近期の売上高が25億円超、従業員68人という中規模企業だが、「あゆみ」シリーズに始まる高齢者、障害者向けケアシューズ市場のパイオニアとして、現在、販売数量では国内シェア55%を握るトップ企業である。
障害者の直面する現実を斟酌し、左右サイズ違いのものをセットで売るだけでなく、片方だけでも売るという一見常識破りの販売手法も取り入れ、単に売上高シェアが高いだけでなく、常にユーザーと人間的なコミュニケーションをとることで、ブランドロイヤルティの極めて高い企業としても知られている。
そうした経営用語を用いるよりも、「徳武のシューズなしでは日々の生活が不便で仕方がない」というお客さんが全国にたくさんいて、他社の商品には見向きもしないと言ったほうがわかりやすいだろう。その結果が、最近の「日本で一番大切にしたい会社大賞審査員会特別賞」や「グッドカンパニー大賞特別賞」などの相次ぐ受賞だ。
名声に包まれた現在の徳武産業をつくり上げたのが、会長の十河孝男氏である。香川県東部の地場産業である手袋製造業からスタート、スリッパなどを作っていた徳武重利夫妻の長女と結婚した十河氏は、銀行員から、親せきの手袋製造会社に転じ、韓国の工場へ。その後、帰国して4年たったところで義父の死去により、徳武産業の社長となる。1984年、37歳のときだった。
当時、売り上げの95%は大手メーカーへ納める学童用シューズだったが、メーカーから海外への工場移転で4年後には発注ゼロになると通告された。親会社から与えられた4年の時間的余裕を生かし、夫人が中心になって必死にルームシューズ、さらにトラベルポーチの開発を進め、このうちルームシューズは大手通信販売会社の人気商品となり、国内シェアトップを獲得するまでに至る。
しかし今度は、通販会社の担当者が次々と代わったりしたことで意思疎通がうまくいかず、売り上げが大きく落ち込む。下請けやOEM生産の限界を知り、新商品、それも自社ブランド商品を模索していた十河氏が運命的に出合ったのが、ケアシューズだったのだ。
ピンチはチャンスというが、脱下請けはそうした危機を、同友会理念をベースにいかに生かすかにかかっているとも言える。
清丸 惠三郎
ジャーナリスト
出版・編集プロデューサー
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