新型コロナワクチンの特許権放棄の要望は
新しい技術は、既存の多くの技術を複合的に活用して開発されます。すると、特許を取った時点で技術開発の進捗状況や最終的に必要となる技術を予測され、重要な技術を他の企業が先回りして押さえてしまう、待ち伏せのようなことも起こります。開発している側からすれば、苦労して開発してきて、最後の最後で莫大な使用料を他の企業に払わなければならなくなるのですが、技術を押さえている企業にとっては大きな収入です。
あるいは、他社が特許を持っている技術を知らずに使ってしまったような場合には、特許権を持つ企業は補償金請求を行うことができますから、その仕組みを利用してライバル企業に罠を仕掛けることもできます。
そこで開発企業にとっては、あえて特許を申請せず、自社の内部で開発を秘密にしておくことも、経営戦略のひとつとなります。今や企業の収益を上げていくために、特許戦略は必須の要素なのです。
こうした知的財産権や特許権を守る仕組みを健全に運用するのは、政府の仕事です。ところが最近は、少し怪しい動きもあります。
2021年現在、特許に関することで大きな話題となっているのが新型コロナウイルス感染症のワクチンです。先進各国で接種が進み、経済活動が急速に回復し始めている一方、発展途上国への普及には支援が必要な状況となっています。いち早くワクチンを開発した中国は、強力な外交ツールとして利用することで、国際社会に存在感を示しました。
こうした中、新興国や途上国からワクチンの国内製造により接種と普及を急ぎたいという声が出ていて、WTO(世界貿易機関)に対し先進国の製薬企業が持つワクチン特許権の一時放棄を強く要望したのです。
2021年5月5日、アメリカのバイデン大統領は、WTOによる提案を受けて特許権放棄を支持すると表明し、これに医薬品業界が猛反発しました。
製薬会社の特許権を一時停止すれば、世界各国でもっとワクチンをたくさん作ることができるかも知れません。途上国へ安価に供給することも可能でしょう。「世界的なパンデミックを終わらせよう」という大義名分があり、一見すると世界のために貢献するようですが、ここで一度立ち止まって考える必要があります。
製薬メーカーは、事業として大きな利益を生み出すと思うから巨額の投資を行い、ワクチンの開発をしています。そして事業の成功が社会貢献となり、世界に恩恵を与えています。
特にコロナワクチンでは、長く研究されてきた新しい技術が使われているものもあります。それが、特許権を一時的であっても停止され、誰でも作れるようになってしまうのです。
企業活動の成果に対する権利が外国や政府の都合で取り上げられてしまうなら、今後、誰もワクチンの開発などしようとは思わなくなってしまいます。
今回、アメリカ政府はワクチン開発に巨額の税金を投入しました。アメリカ連邦議会予算局(CBO)の報告では、2021年3月時点での拠出額は192億8300万ドルとなっています。CBOの報告書には、製薬会社ごとの予算投入額も公表されています。
それだけの税金が投入されているのだから、ワクチンを広く使えるように特許権を放棄せよ、という理屈はある程度成り立つのかも知れません。それならば、最初から「公的資金を大きく入れるので、特許権は放棄してください」という話でなければいけないし、後から騙し討ちのように権利放棄の話を決めるのはおかしいのです。最初からそういう話だったら、一年足らずでワクチンを開発・実用化するなどというスピードも実現しなかったでしょうけれども。
この問題をめぐっては、特許権を放棄した場合のバイオ技術流出を防ぐ対応策、原材料の不足や各国間での調達競合など、多くの問題も指摘されています。仮に今回、特許権を放棄させて世界中でワクチンが普及しても、「良かったね」では済まないのです。再び世界経済に大きな影響を与えるウイルスが流行した際、特許権放棄の前例があることによって、製薬会社が政府の要請に取り組んでくれるとは限らなくなってしまうからです。
先々を見据えた場合、人間の本質を土台として、知的財産権を守るという姿勢を揺るがせにしないことが大切です。日本はコロナワクチンの開発では他国に遅れをとってしまいましたが、日米政府が協力して知的財産権保護を打ち出していくことは、感染症に翻弄される世界に対してできる、未来を見据えた大きな貢献となるのです。
渡瀬 裕哉
国際政治アナリスト
早稲田大学招聘研究員
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