娘婿を後継者に決めるプロセス
中村氏はそこで2つの提案を行った。ベテラン会員の退会への対応策では、彼らのみの交流会を設け、論議の末に「すばる委員会」という名称の組織を発足させる。第2点については、すばる委員会の下部組織として「事業承継塾」をつくり、「心ならずも後継者難から廃業することがないよう、早い段階から事業承継について考え、計画を立案し、どう実行していくかを、経験者や専門家の話を聞いて学んでいきましょう」と提案、準備期間を置いて12年7月からそのための講座を開くことにした。
事業承継に関しては、「経営そのもの(こと)の承継」と「自社株式や事業用資産(もの)の承継(夫妻も含めて)」とがあり、後者を相続税の負担などをできるだけ抑えて合理的に引き継ぐ一方、経営ノウハウや、経営理念、そして組織を混乱なく受け渡す必要がある。中村氏はそれゆえ後者に関しては、「同友会らしさを引き継いだ形での事業承継」を重視していた。
当初、福岡同友会の事業承継塾は2カ月ごとに年4回講座が開かれていたが、現在は新たなニーズに応え6回に拡大されている。18年度のカリキュラムは第1講が「事業承継計画表の作成」に加え、「100年企業の承継と事業変遷」という会員経営者の体験談、第2講が「事業承継のポイント」、以下「社員から経営者への道」「事業承継時のトラブル」「M&Aと事業承継の実例」「事業承継時の保険の活用」という流れになっている。
一見してわかるように極めて実務的な内容だが、後継者教育などの点においては同友会の考え方をいかに理解しているかなどが重視されているようである。
福岡同友会事務局で、事業承継塾を担当する篠原惇志氏はこう話す。
「毎回の参加者は多いときで60~70人、平均して30~40人。1回の講座は3時間で、1時間ほどの講義のあと、30~40分のグループ討論。残りは討論結果の発表や質疑応答などです。毎回アンケートを取っていますが、出席者の属性は承継させる現経営者が承継する後継者より多く、両者が出席というケースも少なくない。年代は現経営者側が50~60代。承継する側が40代中心。男女比は圧倒的に男性が多く、女性は毎回2割程度ですね」
福岡同友会の18年11月時点での会員数は2165人。対して受講者の延べ人数は7年間で1300人超、事業承継塾への関心はすこぶる高い。
中村氏が事業承継塾を構想したのは、中村氏自身が後継者選びで大いに心を砕いた経験があったからだ。55歳のときに貸し倒れが発生し、社員の間に会社存続への不安感が広まったのだ。中村氏以下幹部社員一丸となってこの危機は乗り切ったのだが、中村氏は企業にとり何より大事なことは存続することであり、社員が安心して働き続けられることだ、そのためには65歳くらいまでに信頼できる次代の経営者を育成しておくことが必須だと考えるようになった。中村氏の子供は女の子ばかり3人だった。
しばらくしてのこと、当時飲料メーカーに勤めていた長女の大学時代の友人男性が自宅に遊びに来た。結婚の意思と入社の意思とを尋ねると、どちらも「ある」という回答だった。しかし友人男性側の両親に会ってみると、婿入りは「否」だった。この時点では、中村氏にとり後継者はまだ白紙で、その友人男性(後の娘婿)も候補の一人にすぎなかった。適性等をよく見て判断しようとの構えだったようだ。そこで営業の一社員として入社させた。中村氏が56歳のときのことだ。
娘婿の現社長を後継者に指名したのは、入社7年後の03年のこと。この間、中村氏は幹部社員から後継者を2度募集したが、応募する者はいなかった。非同族の社員にとりマイナスの資産まで承継するのは負担感が大きいということだろう。
一方で娘婿にはローテーションでいくつかの仕事を経験させるとともに、同友会など経営者団体にも加入させていた。人脈を広げ勉強してもらうためだ。また入社翌年から、贈与税の限度額の年間110万円相当の自社株を長女と娘婿にそれぞれ贈与してきた。相続税で問題が発生しないようにとの配慮からである。
こうしてみると、中村氏は社員に十分目配りしながらも、中小企業は創業理念の承継や会社存続への強い思いなどから、同族経営が収まりがいいと判断していたのだろう。06年に娘婿の同意もあって養子縁組をし、彼が中村姓に変わると、翌年には娘婿を副社長に引き上げ、08年には社長に就任させている。新社長は40歳だった。特に社内に混乱が起きるようなこともなかった。
中村氏自身は新社長誕生とともに代表権のある会長に就いたが、3年後には代表権を返上する。後継者となった中村大志社長に全幅の信頼を置いて任せたとの意思表示と見てよい。「心配したが、幹部たちも納得してくれています」と中村氏は表情を崩す。前述のように収益も伸び、経営は順調だ。