ときには「ダメなものはダメ!」といい切ることも必要
「部下の話を聞くのは大切だと思うのですが、どうしても聞く気になれません」
このように感じている上司は少なくありません。部下に理不尽なことを言われたり、無茶な要求をされたりしていると、部下の育成に責任ある上司であっても、「話したくない」と思うのは普通のことです。
「話を聞くべきなのはわかっている、でも聞きたくない」
この葛藤の裏には、「部下の無茶な話につきあわなければ」という、思いが隠されています。この思いは「上司としてあるべき姿」が前提にあり、つまり「部下の話を聞き、部下の要望を汲んであげなくてはいけない」と考えているのです。
断言します。たとえ大切な部下からの話だとしても、理不尽な話や無茶な要求は、何一つ聞く必要がありません。部下の話をすべて受け入れる必要はないのです。
部下の話を聞いて「違う」と感じたら、率直にその思いを伝えることです。顧客、会社、みんなの利益や豊かさにつながらないような、意味のわからない要求には、ハッキリ「NO」と伝えるべきです。
対話のキーポイントは、「理解する意欲」を持つこと。実際に理解できるかどうかより、まずは理解する姿勢が大切だと、本書では繰り返しお伝えしています。
しかし、「理解する」のと「言いなり」になるのはまったく別の話です。ここを一緒にしてしまうと、対話すること、ひいては、人と関わること自体が苦しくなっていきます。
「部下の話を聞くのは大切だと思うのですが、どうしても聞く気になれません」と感じている人の中には、ビジネスパーソンとしてとても優秀な方が多くいます。そんな優秀な方は、外部との交渉に長けていたりもします。
しかし、社内では部下の言ったことを聞き過ぎてしまうのです。なぜ、こんなことが起こってしまうのでしょう?
その理由は、「愛」があるから。ただ、親しい人間に対して愛の与え方が、少しねじれた表現となってしまっているのです。私はこのような相談を受けるたびに、「過保護ですよ!」とツッコミを入れています。
小さい子どもによくある出来事を例にお伝えします。
子どもが夕飯前にもかかわらず、お菓子を食べたがっている。しかし、親はこう考えます。
「いまお菓子を食べさせてしまったら、夕飯が食べられなくなる。そしたら、栄養バランスがとれない。ちゃんとご飯を食べてもらえるように我慢してもらおう」
しかし子どもは、いまこの瞬間「ナニがなんでもお菓子が食べたい!」と思い、駄々をこね、うるさくします。
あまりにもうるさいと感じた親は、根負けしてお菓子を与えてしまい、その結果、親の想像した通り子どもは夕食を残している。子どものワガママにつきあえば、想定していた通りの結果になります。
このたとえ話の登場人物を入れ替えてみてください。親を上司に、子どもを部下に、お菓子を無茶な要求と。上司が部下の無茶な要求を聞いて、良いことは一つもないのです。
「ダメなものはダメ!」と言い切ることが、自分と相手のためになる愛の表現です。
ただし、部下の話を聞いたうえで、要求が通らない理由をしっかりと伝えましょう。さらに進んで、どうすれば要求が通るのかも教えてあげられたら、より深い対話になります。
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