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「全国署名運動」が国の政策を転換させた
■中小企業政策を転換させた運動
福岡県中小企業家同友会相談役理事で、中小企業家同友会全国協議会(中同協)副会長の紀之国屋会長の中村高明氏は、ものづくりを業とする中小企業経営者というより、今や見かけることが少なくなった東京・銀座や日本橋の大店のご主人といった温和な風貌の経営者だ。言葉遣いも丁寧で、慶應義塾大学を出て、私鉄大手、西日本鉄道のエリート社員だったという前歴も十分うなずける。
中村氏は周囲から前途洋々と見られていた39歳のとき、重病の床にあった父親の懇願を受け入れ、福岡県直方市にある従業員3人の、吹けば飛ぶようなベアリング販売店を継いだ。
一時は人事管理上の悩みなどから自殺を考えるほどに追い詰められたこともあったという。そうした修羅場をくぐった経験を糧とする一方、同友会などで学び、今では産業用機械・器具・工具の販売、省力機器の設計・製作、産業用ロボット販売などを中心に、紀之国屋をグループ年商25億円、従業員278人の会社に育て上げた。温和な風貌の中に、川筋者と呼ばれる筑豊人の熱い心意気を抱く経営者だと言っていいだろう。
全国の中小企業家同友会は、自らの考える中小企業政策を政府や地方自治体に認知してもらうために、創設以来、様々な働きかけを行ってきたが、商工会議所などに比べはるかに組織が小さいことや組織として政治的中立を堅持してきたことなどもあり、その主張が政府、地方自治体の政策に反映されることには限界があった。
そうした中で、中村氏が福岡同友会をベースに提起し、全国の同友会に満身の力を込めて働きかけたあることが、同友会をして従来の政府の中小企業関連政策を見直させる一つの大きな原動力へと変えることになる。
同友会は、現在に至るまで自らの掲げる対外的あるいは対内的な課題を解決しようと組織を挙げて動いてきたことは、これまで述べた通りだ。しかしそのうちまだ紹介していない二つのこと、一つは「中小企業振興基本条例制定」運動であり、もう一つは「地域金融機関との連携促進」だが、これら「地域のインフラ整備」「中小企業の環境整備」等の問題に関わる同友会独自の運動は、実は中村氏が提起した問題意識を基点としているのだ。
バブル崩壊直前の1980年代後半、先進国の金融機関はBIS(国際決済銀行)の決議により、国際業務を行うところは自己資本比率8%以上、国内業務のみのところは同4%以上と決められた。そのためにバブル崩壊で不良債権が急拡大し始めていたわが国の各金融機関は、存続のために背に腹は代えられぬと、貸し渋り、つまり当該企業の経営状態にかかわらず一律的に中小企業への新規貸し出しを渋りだし、中には貸し剥がしという強引な手法で既存の貸し出しを引き揚げる金融機関も相次いだ。
金融機関側とすれば貸し出しを減らせば自行の自己資本比率を上げられるからで、現実に中村氏の知人の会社も、大手都市銀行の貸し剥がしにより流動性不足に陥り倒産に追い込まれたという。
中村氏が怒りと危機感を募らせていた折も折、立教大学の山口義行名誉教授(当時は助教授)がアメリカの「地域再投資法」にヒントを得て、金融アセスメント法(「地域と中小企業の金融環境を活性化する法律案」仮称)制定を独力で国会に働きかけていることを耳にする。
福岡同友会の代表理事を務めていた中村氏は、「(これはいいということで)99年5月に山口先生に来てもらい、福岡同友会の理事に法案の趣旨や狙いを話してもらったのです」と事の始まりを語る。
金融アセスメント法案についての詳細は別稿の「地域金融機関との連携」の部分において説明するが、簡単に言えば金融機関は「地域で集めたお金は地域や地元中小企業に還流させよ」「貸し渋り、貸し剥がしなどなくせ」「融資に際しての第三者保証や物的担保の差し入れ、経営者の個人保証など歪んだ取引慣行を見直せ」などといった内容で、長年、中小企業経営者を苦しめる一方、新規事業主・起業家の参入を拒んできた金融制度上の障壁を取り払うべしというものだ。当然、従来の金融行政のありようにも注文が付いていた。
福岡同友会は中村氏らの提議を受けて、金融アセスメント法制定のための宣言書、推進のための趣意書を作成、署名活動に入ることになった。最初は経営者のみが対象だった。ただ福岡県だけではパワー不足ということもあり、「しばしば論議しつつ酒を酌み交わす」中村氏の長年の知友、鋤柄修氏が代表理事(その後、中同協会長、現相談役幹事)を務める愛知同友会にも同調を求めた。