精神的な自由を与える家庭と親の役割
ところがその前段階で、前述のように母親になら安心して何でも話せるという環境にいなければ、思春期を迎えたときに、自分のことを邪悪な存在だと思いがちなため、友人に自分をさらけ出すということにも抵抗が出てきてしまうのです。
幼少期の親との関係というのは、子どものその後の対人関係にも大きな影響を及ぼします。一見、良好な対人関係を築いているように見えるけれど、実際には本音を語るのが怖いという「同調型ひきこもり」が増加している背景にも、こうした親子関係の影響が疑われます。
一般的には、親は子どもとの間に安心して何でも話せるような関係を作ろうと努力するものです。実際にそう努めていると自負している人も多いでしょう。
しかし、無意識のうちに親が子どもの口を封じてしまっているということは往々にしてあることなのです。
あなたも気づかないうちに、子どもの本音を押し潰してしまっているかもしれません。
■「人を見下す感情」は異常ではない
もし、子どもが「アイツ、頭悪いんだ」「あんなバカ、知らない」などと訴えかけてきたときには、
「アハハ。お前の気持ちはわかるけど、みんなの前では言っちゃいけないよ」
「そうか、あの子はバカだと思うのか。そうなのか。でもそういうことを学校で言うと嫌われるからやめときなさいよ」
とでも言っておけばいいでしょう。「そうか、そうか」と同意して、周りとの付き合い方を教えてあげる。
真面目くさって「そんなこと言ってはいけません」「そんなこと言うのは悪い子よ」と言うよりは、よっぽど親として正しい対応の仕方だと私は思います。
そもそも、「自分のほうが勝っている」「アイツよりボクのほうが上」といった優劣の感情や人を見下す感情を持つこと自体は、それほど異常なことではありません。ただそれを表に出すか出さないかという問題です。
親の大切な役目とは、子どもの本音を受け入れてあげること。
子どもが本音でしゃべっているときに、建て前や社会規範、当たり障りのない意見は持ち出さないほうが、子どもの思考が自由に発達していきます。
母子一体型の発達段階に、家庭で子どもが本音を言えなければ、子どもは本音を言える場がなくなってしまいます。大人とは違って、子どもは与えられた「場」しか持てませんから、家庭がその機能を失えばダメージは相当大きいのです。
自分の本音が受け入れられないと感じた子どもは、成長してからも、
「こんなこと言ったら変に思われないかな」
「嫌われたりしないかな」
と不安を強めることになります。親友にすら本音が言えなかったり、人にどう思われるかを過剰に気にしたりする。
本音を言うというのは、ある種「嫌われるかもしれない」という怖さを乗り越えなくてはいけません。それは大人でも同じです。
でも、親や親友に打ち明けるという体験を通じて、自分の本音がある程度許容されるという実感が得られたとき、人の精神は自由になれるのです。
親はその自由を子どもに最初に与えてあげられる存在だと言えるでしょう。