課長の心の底に巣くう「鬼」の正体
都心から少し離れた街中に心療医院を開いている。心療医院とは、精神医学的手法によりストレスなどによって心身が不調となった人の治療に当たる場所だが、その範疇に収まらないさまざまな人々がやって来ることは、すでに述べた。
例えば、ある日1枚のハガキが届く。「最近になって私の中で、もう一人の私の声を感じるようになった。もう一人の人物は流血や破壊にあこがれ、日に日にそれは、強力な想念となっている。日中は、その思いをどうにか抑えられるが、夜、強い思いとなって、実際の行動に駆り立てようとしてくる。どうしたらよいか」という内容である。
似たような便りを、何らかの精神的問題を抱える人々から受け取ることは、精神科医にとって珍しいことではない。が、その送り主が42歳の、実際に働いている、一部上場のIT関連会社の課長であることに暗然とする。妻と2人の子供がおり、一戸建てに住み、外目には申し分のない子煩悩の父親であり、ごく普通のサラリーマンである。その自我が解体に瀕し、攻撃衝動がまさに噴き出そうとしている様子がうかがえるのだ。課長の心の底に鬼が巣くい出し、いずれ、それと共鳴する、何かを求め始めるかもしれない。
こうした人の心に宿る鬼は、すでにネットの中で跳梁しており、互いに共鳴している。もしかしたら課長の心に巣くう鬼は、それと呼応しながら肥大化してきたものかもしれない。思うに、ネットの中の鬼たちは、とうに実社会にも躍り出しており、昨今、世を震撼させているさまざまな事件は、ネットからの影響を色濃く受け、政治、経済、選挙にも影響を及ぼし始めている。
これらは飛び出した鬼の仕業ではなかろうか。こうしたネットの「暗い力」を押しとどめることができるだろうか。鬼たちは、ネットの中を高速で移動し、たとえ一匹の鬼であっても一瞬にして無数のパソコンに入り込み、限りなくコピーを作り出すことができる。それは「心の壁」を容易に溶かし、無数の人々の心の中にやすやすと入り込む。
昔、田舎の祖母は、幼い私に「村はずれには鬼がいる。ただ、鬼は村の中までは入ってこねえから、そこから先には行くな」と諭したものである。60年も昔(私が小学5年の頃)、たいていの町には不良たちがたむろする場所があり、そこを通る子供はケンカをしかけられ、虐められたものだ。私には密かに好きだった同級生のパン屋の娘がいたが、その店は鬼のような不良がたむろする街はずれの向こうにあった。
ある日、私の思いは恐怖心を乗り越え、パン屋に向かった。行きは難を逃れ、現れた娘から大量のパンを買い込んだが、帰りに鬼たちに突き飛ばされ、パンは土まみれになった。帰宅すると母親の厳しい叱責にあったたが、私は言い訳をせず、娘に心意気を示せたのが嬉しかった。擦りむいた足の痛みも感じなかったくらいだ。しかし、この体験の後、不良たちが怖くなくなった。それはリアルな体験だったから、鬼たちは私の心に入り込む余地はなく、支配することもなかったのだ。
村はずれの鬼には心意気次第で対抗することができるが、人の心に巣くう内なる鬼たちを退治するのは難しい。その鬼たちが、ネットを通じて共鳴し、増殖し、さまざまなスローガンや荒唐無稽な理論の仮面をかぶって巧妙に人の心に侵入し、人を支配しつつあるように思える。
遠山 高史
精神臨床医
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