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「思考」は言葉があってはじめて成立する
■思考は言葉が形づくる
思考というのは言葉があってはじめて成立するものです。
言葉にできないものは曖昧で捉えどころがなく、そのまま放置すればいずれ塵のように消えてしまうでしょう。考える材料が得られないので、思考が深まるわけがないのです。
もちろん、言葉にできるもののほうが大切で、言葉にできないものには価値がないなどと言うつもりはありません。その人にとって重要なのは、えてして簡単に言葉にできるものより、簡単には言葉にできない気持ちだったりします。
大切なことは、言葉にできないような曖昧な感情を見つめ続け、それに言葉を与えようとする努力だと思うのです。
私たちが知識と見識を増やしたいと思うことには、こうした言葉にできないものを、なんとか言葉にしたいという願いがあるからかもしれません。
ところで、マザー・テレサの名言に、ちょっと素敵なものがあります。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
ここでは「たとえ言葉として口にしていなくても、無自覚に思考していると、いずれそれを口にすることになる」という教訓として語られています。先ほど私が述べたような曖昧な感情というよりは、すでに言葉として表現が可能な感情、しかもネガティブな感情のことを指していると思われます。
しかし、この言葉のなかでもっとも興味深いのは、「思考と運命は最終的につながっている」という点です。
たしかに、意識的におこなった行動は「実現した」と表現できますが、自分で考えてもいなかったことが起きても、それは単なる「偶然」にすぎませんから、「自分で思考したことこそが実現する」ということは言えそうな気がします。
となると、私たちが自分の運命を意義深いものにするには、まず意義深い思考をすることから始めなくてはなりません。たくさん本を読んで、たくさん人の意見を聞き、あなたの思考に肉付けする材料を手に入れてください。