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なぜ味方はたった「ひとり」でいいのか
■「真の自分」を見つけるためには他者が必要
ここまで、ひとりの時間の大切さ、思索の時間の大切さを述べてきましたが、ここで強調しておきたいことがひとつあります。
それは、「本当にひとりぼっちでは、真の自分ではいられない」ということです。
孤独はただ礼賛すればいいというものではありません。
精神分析的な考え方では、自分が本当の自分になれるときには、自分だけでなく他者の視点も必要なのです。絶対的な孤独のなかでは、自分を映し出してくれる他者がいないため、自分自身ですら自分を見失ってしまうからです。
孤独の効用を謳う本は数あれど、この点を度外視してただ孤独礼賛に走ってしまうと、孤独は害毒になりかねません。
人はそれほどストレス耐性が強い生きものではありません。本当の孤独、本当のひとりぼっちに耐えられるほど強い人間はいない。精神を蝕まれたり、依存症に陥ってしまったりします。
もしあなたが自分の本音を誰も聞いてもらえない状況にずっといたとして、それで真の自分になれたと思えるでしょうか。自分を受け入れてくれる他者がいてはじめて、真の自分の姿が見えてくる。そう思いませんか。
「あんなバカがなんで評価されるんだ。オレのほうが……」
「あそこの子よりウチの子のほうが……」
「あの子、性格の悪さが顔に滲み出てるよね。私のほうが……」
表面的には円滑な関係を取り繕っていても、こんなふうに、みなさんにも人前ではあまり言えない本音があるでしょう。
もっと深淵な悩みでもいいでしょう。
「人はなんのために生きているんだろう」
「オレの存在価値とはいったい、どこにあるのだろうか」
「死ぬというのはどういうことなんだろう」
のべつまくなしに人の悪口ばかりを言うのは別問題として、心のなかに湧いてきた本音や疑問、胸につかえている黒い感情を、腹を割って話せる相手がいるかどうかは、「人とつながっている」実感を測るひとつのバロメーターになります。
相手が必ずしも自分の意見に同意してくれなくてもいいのです。たしなめるなり反対意見を言うなり、判断保留の裁定を下すなりでもOK。なんらかのレスポンスをしてくれればいい。
ただし、真剣に話に耳を傾けてくれて、その発言ひとつだけをとって自分の人間性を決めつけたりしない相手、というのが重要です。
そういう相手のことを、一般的には「親友」と呼びます。