「伝えたいことがある」と話す佐野若菜さん(仮名)

先天性心疾患を抱えて生まれ、12歳という若さで亡くなった双子の妹。そんな病気の妹に対して「羨ましい」と思っていたと話す姉の佐野若菜さん(仮名)は現在25歳。彼女は同じ苦悩を抱える人へ伝えたい思いがあるといいます。今回はそんな彼女の幼少期の苦しみと、彼女を救った医師の言葉をご紹介します。

「肝障害」妹の病状の悪化

そんな穏やかな日々が続くことを疑わなかったという若菜さん。

 

しかし―――

 

「小学校3年生になった頃です。妹の病状が悪化しました。もともと、手術によって何とか心臓の機能を保っている状態。そうやって身体に負担がかかる状況が続くと、どうしてもその他の部分に合併症などが起きやすくなってしまうんです。妹の場合、肝臓に問題が出てしまいました」

 

手術の影響もあり、肝障害を引き起こしてしまったという紗菜さん。

 

当然学校へも行けず、入院して病院で過ごす生活に逆戻りしたそうです…。

 

「両親は私のそばにいられる時間が減るため、私にも覚悟を持たせたかったのでしょう。まだ小学3年生だった私に妹の病状を細かく説明し、病状が思わしくないことをきちんと伝えてくれました」

「父や母とずっと一緒にいられるなら病気になりたい」

ご両親の想像通り、2人は妹に付きっきりになることが増えたそうです。

 

家のことは近くに住む叔母が来て手伝ってくれ、寂しい思いをさせないように配慮してくれたそうですが、それでも、どうしても拭えない思いがあったといいます。

 

「運動会や授業参観などのイベントがあっても、父や母が来ることは難しいだろうと、別に期待はしていなかったんです。それなのに必ず、何かの折には父か母のどちらかが来てくれていた。それはやっぱりすごく嬉しかったです。…でも後に叔母から言われたんです。『紗菜ちゃんが、私のことはいいからお姉ちゃんの運動会に行ってあげて、と話していたそうよ、優しいよね』と。それがなんか…正直に言うとすごく嫌な気持ちになったんです」

 

姉を想っての発言だったはずの妹・紗菜さんの言葉。

 

しかし、若菜さんは素直に受け取ることができませんでした。

 

「本当に嫌な人間だと思いますけど、そうやって気を遣われることが却って癪に触ったというか……。うまく言えませんが、普段妹は父や母と一緒にいられるのに、たまに私に父や母を譲るだけで褒められるのか、とそんな風に当時思ってしまったんですよね。それなら私も病気になりたいと。単に父や母とずっといられる妹が羨ましかった。当時、小学4年生とかだったので、仕方なかったようにも思えますが、子供ながらに卑屈になっていたんだと思います」

 

幼少期から妹の紗菜さんを中心に家族が回っていたと話す若菜さん。

 

当時小学生だった彼女にしかわからない苦悩があったことは想像に難くありません。

 

そんな家族4人に本当の苦しみが訪たのは、それから約2年後のことでした―――

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