ハッピーエンドではない
「ハッピーエンドじゃなくて申し訳ないんですけど…」
そう困ったように笑って話し始めたのは、児玉早紀さん42歳。彼女は現在、夫の雅人さんと彼女の実家の近くで美容室を経営している。
早紀さんが雅人さんと結婚したのは9年前。知り合いの紹介で出会い、趣味が合うことがきっかけで交際に発展したのだそう。
「結婚自体、早い方ではなかったんですよね。私が33歳、夫は40歳でのことでしたから。それでも、海外旅行やキャンプという共通の趣味があったので、二人の生活を満喫していたら、そこからさらに数年が過ぎてしまいました。結局、子どものことを考え始めた頃には35歳を過ぎていたんです」
35歳―――それはいわゆる高齢出産と言われる年。早紀さんと雅人さんはリスクなども考え、ようやく妊活を開始することにしたそう。
「実は、実家や義実家からも子どもはまだか、と遠回しにずっと言われていたんです。だから、「いつかは…」と思っていましたが、35歳を超えた途端、『高齢出産』という言葉が自分に当てはまるという現実に直面し、急に焦りだしました」
不妊クリニックで目の当たりにした現実
そうして妊活を始めた2人。しかし、思うように子どもを授かることが出来なかったそう。半年経っても子どもが出来なかった早紀さんは、治療するなら早い方がいいと不妊クリニックの門を叩きました。
「不妊クリニックに行ってとても驚いたのは、患者さんの数です。毎回2〜3時間待ちで、待合室には立って待つ女性たちがずらり…。こんなにも不妊に悩んでいる人がいるのかとびっくりしました。でもそこまで来ても、治療を始めたらすぐに授かれるだろうとどこか他人事でした」
クリニックに通い始め検査をした結果、夫婦ともに「異常なし」。
そのためまずはタイミング療法から始め、それでも授かれなかったため、人工授精、体外受精とステップを踏んでいったのだとか。
そうこうするうちに過ぎていった2年の月日―――
少なすぎるチャンスと長すぎる時間
「妊娠のチャンスってすごく少ないんですよね。妊活を始める前こそ、生理が毎月来ることを鬱陶しく思っていましたけど……。
月に一度、それも数日しか妊娠できる可能性はない。2年間治療をして、チャンスは24回ととても少なく、でもその他の待つしかない時間はあまりにも長くて、何度も気が狂いそうになりました」
長く続いた不妊治療の苦悩はそれだけではなかったそう。
「当然お金もかかります。総額600万は優に超えていたんじゃないかな…。夫は気にしなくていいと言ってくれましたが、検査で夫側に異常がないことは分かっていましたし、やはりここまでして子どもができないのは自分のせいなのではと、責めることしかできなかったですね」
周りを恨んで日々を生きていた…
そうした生活を続けるうちに、だんだん精神的にも追い込まれていった早紀さん。治療開始後2年が経った頃には、心を平常に保つのが難しくなっていたと言います。
「夫が言うには、当時毎日、『もうやめたい…でも子どもつくらなきゃ』とブツブツ呟いていたそうです。怖いですよね(笑)。
治療なんかしなくても、普通に子どもを授かって幸せそうにしている人もたくさんいるのに自分はなんで?とか、もっと早く子作りをしていれば…とか周りや自分を恨んで日々を過ごしていたのを覚えています」
「嫌いな自分になっていた」と当時のことを語る早紀さん。
そんな彼女に思いがけない言葉が降りかかってきたのは、いつものクリニックへの通院の時でした。