東大EMP受講のため、毎週「福島県・東京都」を往復
一昨年のちょうど今頃、筆者は東京で寝泊まりするための物件を探していました。「東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(東大EMP)」を受講するためです。
東大EMPは、すでに社会で幅広い経験を積んでいる次世代のリーダーとなる人材を対象とした、課題設定能力(解決能力ではない)の獲得を目指すプログラムと言われています。筆者が受講したのは第22期でした。
一期分のプログラムは半年間にわたり、毎週金曜日と土曜日に講義等が行われます。筆者は木曜日の仕事が終わり次第、勤務地である福島県いわき市から東京に向かい、プログラムに参加して日曜日にいわきに戻るという2拠点生活を過ごしました。
プログラムのスタートは、令和元年東日本台風(台風19号)が甚大な被害をもたらしたのと同じタイミングでした。オリエンテーションの合宿から始まるのですが、当時、福島はまさに災害後の対応に追われているところだったため、「自分だけ東京にいて良いのだろうか」と後ろめたさを強く感じていました。しかし「何とかなるから大丈夫、貴重な機会としてしっかりと学んでくるように」と背中を押され、そのままオリエンテーションに参加したのでした。
心置きなく、というわけにはいかないスタートでしたが、落ち着いてきた後は東京での講義を楽しみに毎週を過ごしていました。
課題図書に追われて、片道2時間半の電車も「束の間」
プログラムは、東大の研究者を中心とした講師陣により、数学、宇宙、経済、宗教、哲学、国際関係…と、ありとあらゆる分野の講義が展開されます。講義数は1日に4コマ、半年で100コマを超えます。一つ一つの講義は1時間45分、講義時間の半分は講師とのディスカッションに充てられます。
プログラムを通して、かなりの数の本を読むことが求められました。講義ごとに課題図書が設定されており、週に8冊は読まなければならない計算です。課題図書を読むなどしたうえで、基本的な内容をすでに押さえているものとして講義が進められていきます。
プログラムがスタートする前に段ボールが自宅に急に届き、「何かポチったっけな…?」と不思議に思いながら開けると、中身は課題図書のセットでした。受講期が半分ほど過ぎたところで、さらに追加の段ボールが届いたのでした。
正直「こんなにたくさん、どうやって読めと?」と思いましたし、実際すべての本を読みきることはできませんでした。読んでみたところで内容がさっぱり…というのも少なくありません。最後までページをめくってみることだけで精一杯でした。
東京-福島間の移動で電車に揺られる片道2時間半は、課題図書を開いているとあっという間でした。こういった時間を過ごせる場は、他になかなか見つけられていません。
実際の講義はというと、決して難しすぎてついていけない…ということばかりではありませんでした。自身の研究内容を門外漢に説明することが巧みな講師も多く、聞いているうちに賢くなった気になれることもありました。
筆者はそれまで哲学系にあまり縁がありませんでしたが、プラトンの書を改めて読む課題が出された講義もあり、こういう内容だったのか…と自身の浅学を振り返ることも多くありました。また、プログラムの取り組みの一つとして「書く」課題もあり、その中で担当講師にすすめられた『湯殿山の哲学』という本や講師自身が書いたその書評と格闘したことは、印象に残っていることの一つです。
全体を通し、ディスカッションをする場が様々に設けられています。いろいろな発見があり楽しいものでしたが、社会の問題について語る中で出てくる「こうすべき」というような発言に、「東大EMPに集まるような人たちはそう言うだろうよ…」と感じる場面もありました。
東大EMP受講のきっかけは「職場の後押し」
非常に充実した半年間でしたが、修了時にはコロナ禍が本格化し始めていました。修了式を執り行うかどうかについても、直前まで調整が続いていたようでした。2020年4月開講予定だった第23期は先送りになり、半年後に新しい形式でのスタートとなりました。
平成から令和に変わった年に、台風からスタートし、コロナ禍に入り修了と、受講の前後では隔世の感があります。
筆者がこのプログラムを受講することになったのは、勤務するときわ会グループの土屋了介顧問や、グループの基幹病院である常磐病院の新村浩明院長にすすめられたことがきっかけでした。当時筆者は、常磐病院で院長秘書を担当していましたが、院長が「杉山を研修に出そうと思っている」ということで顧問に相談し、「それならば」ということで顧問自身も講師を務める東大EMPの話が出たのでした。受講料は約570万円と高額でしたが、法人の応援をいただくこともできました。大変にありがたいことでした。
筆者は経験もほとんどない若造でしたが、出願から面接を経て、運良く受講できることになりました。後で聞くところによると、「メンバーの組み合わせを考えながら行う選考は非常に難しい、その期のプログラムの質にも影響する」ということで、筆者は受講生の多様性を担保するにはちょうどよかったのだろうと思っています。「やめておけば」などと言われながらも今の仕事を選んだことが、こういった機会に繋がっています。
一緒に受講していた方々はまさに社会で活躍している先輩方で、圧倒されてばかりでした。よく一緒に飲みに連れて行っていただきましたし、可愛がっていただけました。大手企業で輝かしいキャリアを築きつつも悩んでいる人や、中央官庁で板挟みにあいながらも良い方向に変えていこうと奮闘している人、若くして成功している隙のなさそうな人や、天才肌の自由な社長さん、個性溢れるラジオパーソナリティなど…それぞれいくら話を聞いても足りないバックグラウンドある方々との関わりを通して、「自分が普段いるところは狭い世界なのだ、開かれていかないと」とつくづく思いました。
筆者自身としては、このプログラムを受講し、多少は物怖じせず発言できるようになったように思います。病院の風土としても、そういったことが求められています。それから、中堅の医師の中にも、「MBAを取りに行きたい」という方がいます。グループとしてこういった希望に応える下地が強化されたのではないでしょうか。「誰か次に受講しないかなあ」と、自分の周りを見渡しています。
杉山 宗志
ときわ会グループ