飯田屋は100年以上続く老舗の料理道具専門店です。その歴史は、これからも当たり前のようにずっと続くものだと思われましたが、現実の経営はそんなに甘くはありませんでした。飯田屋6代目店主の奮闘が始まります。本連載は飯田結太氏の著書『浅草かっぱ橋商店街 リアル店舗の奇蹟』(プレジデント社)を抜粋し、再編集したものです。

経営再生コンサルタントがやってきた

目の前にあるのは、たくさんの商品が揃っていてもお客様は何も買ってくれないという現実と、売上の減少が止まらないという事実でした。

 

「記憶に残る幕の内弁当はない」

 

おニャン子クラブやAKB48のプロデューサーとして知られる秋元康さんの言葉です。人々の記憶に残り、選ばれる存在になるためには、とんかつ弁当や生姜焼き弁当、牛タン弁当のように、何か「これは!」という特長が必要だという意味です。

 

飯田屋はまさに、なんでもあるけど、まったく人の記憶に残らず、選ばれもしない幕の内弁当のような店になっていたのでした。

 

当時、飯田屋のお客様の多くはプロの料理人たちでした。店内には、3代目の祖父が始めた精肉店向けのステンレス盆や肉専用温度計、枝肉を吊り下げるためのフックなど、かなりマニアックで専門的な道具がたくさんありました。

 

しかし、精肉店の廃業は止まらず、お客様も一人、二人と減っていきました。生き残った店も、厳しい経営状態ゆえに購入頻度がどんどん減っていったのです。

 

それでも、「長年お付き合いのあるお客様のために、たとえ売れなくなってきた商品でも品揃えは欠かせない」と先輩社員。購入頻度が落ちたからといって取り扱いをやめてしまえば、「そのお客様の来店を拒絶したことになる」というのです。

 

「これはもう仕入れなくてもいいのでは……」と思う商品を棚から外そうと提案しても、「誰々さんが買いに来るから、必ず在庫を持っておくように」と先輩社員から注意されます。たとえそれが1年に一度でも、そのお客様以外の購入がなかったとしてもです。

 

飯田屋は100年以上続く老舗企業です。その歴史は、これからも当たり前のようにずっと続くものだと思っていました。

 

しかし、現実はそんなに甘くはありません。老舗ならではの長いお付き合いが、お客様への面倒見のよさが、逆に足かせになるという心苦しい事実がそこにありました。

 

これまでの商品に加え、新しいお客様のために次々と仕入れた商品が、店内に無秩序にあふれていきました。看板があれば、のれん・のぼりもあり、料理道具もメニュー帳もあり、竹製のかごなど民芸品も置きはじめられました。

 

しだいに何屋なのかわからない店となり、新規のお客様が気軽に入れるような店ではなくなっていったのです。

 

1997年に3億7000万円あった売上は、2009年には1億円近くまで減少。赤字続きの経営状態を懸念して、母が一人の経営再生コンサルタントを連れてきました。

 

そこで言われたのは……。

 

「とにもかくにも、売上が下がりすぎていますね」
「商品回転率が悪すぎます」
「売れていない商品は棚から外していったほうがいい」

「たまにしか売れない〝極(きわ)〞の商品の仕入れをやめて在庫回転率を上げて、資金の回収を急ぐのが急務。とにかく目の前の売上を上げなければ、会社の存続が危ない」

 

指導に従って極の商品を切り捨てた店内は、専門店らしさを失いはじめていきます。在庫回転率を気にするあまりに新しい商品も仕入れられず、じわじわと真綿で首を絞められるような苦しみを味わう日々が続きました。

 

飯田 結太
飯田屋 6代目店主

 

 

浅草かっぱ橋商店街 リアル店舗の奇蹟

浅草かっぱ橋商店街 リアル店舗の奇蹟

飯田 結太

プレジデント社

効率度外視の「売らない」経営が廃業寸前の老舗を人気店に変えた。 ノルマなし。売上目標なし。営業方針はまさかの「売るな」──型破りの経営で店舗の売上は急拡大、ECサイトもアマゾンをしのぐ販売数を達成。 廃業の危機に…

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