飯田屋は100年以上続く老舗の料理道具専門店です。その歴史は、これからも当たり前のようにずっと続くものだと思われましたが、現実の経営はそんなに甘くはありませんでした。飯田屋6代目店主の奮闘が始まります。本連載は飯田結太氏の著書『浅草かっぱ橋商店街 リアル店舗の奇蹟』(プレジデント社)を抜粋し、再編集したものです。

「飯田屋に入社させてください」

■母の助けになりたい

 

「……飯田屋に入社させてください」

 

2009年4月1日のエイプリルフール。独りで経理作業に追われる母の小さな背中に話を切り出したのは、社会人生活をスタートさせて丁度2年目の春でした。

 

そのころの飯田屋はいつもお客様の姿が少なく、積み上げられた商品はお客様が訪れる日をむなしく待ち焦がれるばかりでした。従業員の入れ替わりは激しく、いつだって人手不足に苦しんでいました。

 

その中に、休む暇もなく懸命に働き続ける母の姿がありました。

 

飯田屋の創業は大正元年の1912年。東京の浅草と上野の中間に位置する、世界最大級の飲食店用品問屋街「かっぱ橋道具街」にある小さな料理道具専門店です。創業当時は障子や襖、ガラス扉を扱う建具業を営んでいたといいます。

 

創業から11年後、1923年に起きた関東大震災は関東全域に甚大な被害をもたらします。飯田屋も例外ではなく、店舗が焼失してしまいました。

 

震災後の復興により、かっぱ橋の様子も変わっていきます。墨田区錦糸に集まっていた菓子問屋や菓子製造業者が震災で店舗を失い、かっぱ橋近辺に移転。それに伴い、菓子道具や料理道具を扱う店が増えていきました。

 

飯田屋も、このころから料理道具を取り扱うようになります。

 

1939年には、戦争により二度目の店舗焼失を経験。当時はまだ珍しかったホーロー製品を販売するなど、時代に合わせて取扱商品を少しずつ変えていきました。

 

 

1950年代後半の3代目のとき、「自分たちに合う精肉用の道具を購入できる店がない」と困っていた精肉店のための道具を販売、オリジナル商品も開発します。「肉屋の飯田」として全国で有名となり、遠くからもお客様が来店し、たいへん繁盛したそうです。

 

しかし、時代は高度経済成長期を迎え、スーパーマーケットが急成長を果たすと、まちの精肉店など個人商店や、その集積である商店街は衰退の一途をたどります。かつては活気にあふれていたかっぱ橋道具街からも、少しずつ客足が遠のいていきました。

 

1982年に建て替えた店舗は、昔ながらの店舗併用住宅。1階と2階が店舗、3階が居住スペースとなっていました。それが今の飯田屋の店舗です。

 

飯田屋へ入社する前、僕は大学2年生のときに起業したウェブサイト制作会社の仕事に熱心に取り組んでいました。やりがいを感じ、依頼も少しずつ増えはじめていたある日、夜遅く帰宅すると、いつまでも明かりが灯る店内で懸命に働く母の背中が見えたのです。

 

母は学生のころは美術系の大学に通い、美術関係の仕事に就く夢があったそうです。しかし、先代の急死により飯田屋を継がざるを得なくなりました。

 

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