「見かけないけど、引っ越したの?」退去手続きしないまま入居者はどこかへ…(※写真はイメージです/PIXTA)

古いアパートを建て直したい家主。住民の立ち退きと、行方不明者への強制執行に際した切実な想いに迫る。 ※本記事はOAG司法書士法人代表・太田垣章子氏の書籍『老後に住める家がない!』(ポプラ社)より一部を抜粋・編集したものです。

肩を落とす家主…井上さんの住民票を請求してみると

2階はもともと井上さんしか住んでいなかったので、使われていない階段は錆びて抜けそうな状態です。そろりそろりと家主と上がってみました。いちばん手前の部屋が、井上さんが住んでいた201号室。表札はそのまま掛かっていました。

 

古いタイプのドアでポストがついていたので、指でポストを押してみると室内が僅かに見えました。靴は何足か転がっています。部屋の奥にも、ブラウン管のテレビや脱ぎ捨てた衣服も見えました。もぬけの殻という訳ではなさそうです。

 

挨拶する仲だった井上さんが、荷物を置いたままいなくなってしまったことに、家主は肩を落としていました。

 

手続きをするにあたって、井上さんの住民票を請求してみました。ところが川崎市のアパートには該当なし。井上さんは半世紀近くも住んでいながら、住所は別の場所にあったようです。

 

ならばと契約書記載の住所に請求しても、これまた該当なし。これは契約書に記載された住所と建物の住所、このどちらにも住民登録がない、もしくは昔はあったけれど異動したあと役所の保存期間が経過してデータが残っていないという状況です。もともと入居時に運転免許証や住民票等の公的書面が何もないので、これ以上井上さんの住所を探し当てることはできません。

 

もしかしたら「井上」という名前すら、偽名ということもあり得ます。今となれば、確かなことは何もないという状況でした。

 

井上さんがいなくなった原因は、何だったのでしょうか。認知症になって徘徊しているうちに分からなくなったのか、自分の意思で失踪したのか、何かの事故で部屋に戻れなくなったのか、もはや誰にも分かりません。

 

ただライフラインは止まり、家賃が1年以上滞り、そして滞納が始まった頃から誰も姿を見かけることはなくなった、その事実だけです。最終的に、家主は明け渡しを受けるための手続きをとることを選択しました。

 

次ページ手続きと並行し、現入居者の立ち退き交渉がスタート
老後に住める家がない!

老後に住める家がない!

太田垣 章子

ポプラ社

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