老後に対する不安には、大きくわけて二つの種類が存在します。一つは、「十分な資金を蓄えられるのか」という目に見える「蓄財の不安」。そしてもう一つは、情報や世間の言説に煽られることで、本当は足りているのに、足りていないと思い込まされてしまう「潜在的な不安」です。昨今、将来への恐怖から収入の大半を過度な投資につぎ込む人々が話題になりますが、彼らもまた「いくらあっても足りない」という錯覚に囚われ、いま目の前にある暮らしや大切なものを見失っているのかもしれません。そしてこの「足りないという錯覚」は、ときに家族の絆さえも破壊することも。本来なら暮らしていけるだけの年金と蓄えがありながら、「老後破綻」という言葉に追い詰められたFさんの事例をみていきましょう。※個人の特定を防ぐため、事例は一部脚色しています。
「私たち家族は全員バラバラになりました」年金18万円・退職金1,500万円の70代夫婦の不幸…老後資金を食いつぶす53歳無職の引きこもり息子が、2階の四畳半から〈消えた日〉 (※画像はイメージです/PIXTA)

現役時代に500万円しか貯められなかったワケ

<事例>

夫Fさん 75歳 年金生活

妻Nさん 72歳 年金生活

長男Yさん 53歳 無職

 

夫Fさんは、定年退職から10年。かつては都内の総合病院の事務職をしていました。65歳で定年退職したとき、妻のNさんとともに大きな焦りがありました。

 

それは、貯蓄のこと。現役時代に貯められたお金は500万円のみ。退職金1,500万円と合わせると、約2,000万円の資産額でした。投資や積立保険などはなし。入院保険も入っていません。「これから本当にこの貯蓄で間に合うのだろうか?」と夫婦で不安に思っていました。

 

約40年勤めあげて貯蓄が500万円だったのは、理由があります。夫婦は決して浪費家ではないのですが、山形に住む夫Fさんの両親への仕送りが厳しかったのです。両親は若いころから働かない人で、息子であるFさんが毎月少なくないお金を仕送りしてきました。

 

夫Fさんの父親はそのお金をパチンコや飲酒に使うなどしていたようです。何度も両親を咎めましたが、「親を見捨てるのか」と大声で反抗され仕送りを続けてきました。生活費だけでなく、古くなった実家をリフォームしたときのローン、火災保険、町内会費に至るまで、息子であるFさんの負担だったのです。

 

加えて、30代で購入した東京郊外の戸建ての住宅のローンも抱えていました。定年退職のときには完済できましたが、逆によく500万円も残すことができたものだと思うほど、現役時代の生活は苦しいものでした。

 

さらに夫婦には不安の種が。それは、2階の奥にある部屋に住む、53歳になった一人息子のYさんのこと。息子のYさんは33歳のときからずっと働いていません。

就職氷河期世代の息子が実家へ戻った日

引きこもりとはいうものの、自室に閉じこもって出てこないわけではありません。お腹が空くとリビングに降りてきてはテレビを見ながらお菓子を食べ、見終わるとまた二階に行く。

 

母親のNさんが部屋を覗くと、几帳面に整理整頓された四畳半で、いつも寝転んでいます。まるで小学生のときのようですが、見た目だけは白髪が目立つおじさんです。いわゆる子供部屋おじさんでしょうか。ただ、両親は息子の笑った顔をこの20年間見たことがありません。

 

息子のYさんは、33歳で適応障害を患い、大学を出てからずっと勤めていた会社を辞めてしまいました。原因の一つは、人を好き嫌いで露骨なえこひいきをする女性上司でした。新卒の若く見栄えのいい部下には笑顔で接し、見た目の冴えないYさんには、まるで汚いモノでも見るかのような態度で接するのです。女性と交際したことがないYさんにとってそれは、劣等感にさらに塩を塗りこむような状態でした。

 

少しミスをすると上司から会議室に呼ばれて過度に叱責され、その後はお気に入りの社員を集めてYさんの陰口大会……。Yさんはいつのころからか、焦燥感が止まらなくなり、記憶力も著しく低下。仕事で大きなミスをしてしまい、いつものように陰口が始まったのを見て、とうとう会社を辞める決断をしたといいます。

 

最初はすぐに転職をする予定でしたが、受診した精神科では少し休んでから就活するようにといわれました。半年ほどのつもりが、服薬がなくなってからも一向に社会復帰する気にはなれなかったようです。1年、また1年と時間だけが過ぎ、気づけば53歳に。

 

家の中で物を壊したり、大声を出したりすることはありません。しかし、低下した意欲は戻りません。趣味もなく、友達もいなく、外出するのもコンビニまでがやっとです。そんな息子の存在が、この20年、夫婦の焦りの原因になっていました。