小売業界はすでに「落とし穴」にはまっている
■ブラックスワン神話
エッセイストで学者のナシーム・ニコラス・タレブが提唱した「ブラックスワン理論」というものがある。白鳥は白いのが常識だったが、オーストラリアで黒い白鳥が発見されて大騒ぎになったことに由来し、予測不可能だがひとたび起これば破壊的な力を持つ出来事を指す。過去に前例がない出来事だから予期のしようがないというわけである。タレブの定義から言えば、新型コロナウイルスはブラックスワンではなかった。
実際、ほとんどの企業は感染拡大への対応で慌てふためいていたが、何年も前にこうした危機に備えて作成したプランに沿って行動している企業もあった。たとえばインテルは、20年近く前からパンデミック対応の常設委員会があった。2003年のSARS大流行の際に創設されたものである。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、同委員会が対策本部となり、過去のパンデミックからの教訓・知識に基づいて指揮したため、インテルの対応は実に迅速だった。
読者の勤務先に同じような能力はあったとしても、その力を使いこなすためには、組織内にある能力をしっかり取りまとめる責任ある役職を置く必要がある。特に何をするわけではないが、組織の見張り役のような人材がどの会社にもいるのは、そういう理由である。はるか遠くの水平線上に、会社の行く手に影響を及ぼしそうなものがないか、目を光らせているのだ。
何らかの脅威になる恐れありと判断すれば、とりわけパンデミック級の規模を持つ脅威なら、それを監視し、ひとたび現実のものとなったときに対処する危機対応計画を作っておくのは、組織の責任である。
■今は歴史のターニングポイント
実は私たちは、業界としてすでにこうした落とし穴にはまり始めている。たとえば、極端な現在至上主義に陥っていて、小売業界に見られる変化を単なるこれまでのトレンドが「加速したもの」と言ってはばからない人々がいる。
「ここには見るべきものはない。どれも起こるべくして起こっていることだから」
このような見方にはあまり同意できない。そういう態度は、危険をはらんでいるばかりか、知的好奇心に欠けている気がするのだ。
現に、一種の宿命論的な目でパンデミックを眺めている限り、社会や産業の深層で未曾有の変化が起こっている現実を見逃してしまう。今回のパンデミックがなければ起こり得なかった変化である。小売りの歴史の流れを加速するだけでなく、一変させるほどの変化である。小売りの世界で大規模に繰り広げられるバタフライ効果と言ってもいい。