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必要なサプライチェーンのリニューアル
たまたま自宅の地下倉庫を整理していて、自分が持っていることさえ忘れていた本を見つけた。イギリスの高級百貨店セルフリッジの創業者で、今日に至るまで時代を超えて世界の偉大な小売業界のエンターテイナーの1人とされているハリー・ゴードン・セルフリッジの『The Romance of Commerce』の初版本である。実はありがたいことに、素晴らしいクライアントからのいただきものである。
古い本とあって、綴じも粗いが、美しい木版刷りの挿絵があり、小売りの歴史を総合的に取り上げた第一級の書と言っていい。さらに奇遇というか、不気味ささえ覚えたのだが、なんと初版発行は1918年だったのである。この年に心当たりがあるだろうか。
約100年前、セルフリッジは、小売業界について自らの思いをしたためようとペンをとったのだろうが、それはまさに世界でスペインかぜが猛威を振るっていた年だったのである。それから100年以上も後世に、小売業界や私のような関係者が同じような状況に遭遇しているとは、思いもよらなかったろう。もし今、セルフリッジがこの世に生きていたら、どんな助言をくれただろうか。風を失って帆がたるんだ私たちの船に、セルフリッジは、いったいどんな知恵の風を吹き込んでくれるだろうか。
彼の本を手に取り、しばしページを繰っていると、すぐにある文が目に飛び込んできた。
世界は新しい哲学を受け入れる機が熟した。もっと広い意味で言えば、新たな主義信条と言ってもいいだろう。もっと崇高な理想、もっと創造的な刺激、これまで思い描いてきた常識を超えるような高い水準が渇望されている。だが、われわれの知性には限界がある。
確かにわれわれは体調を整えられるし、実際に取り組んでいる。われわれの暮らしは絶えず便利になっている。暮らしを楽にする数々の創意工夫がある。われわれのやり方も、われわれの制度も改良できるし、実際に取り組んでいる。完成の域に達するまでに達成すべきことはいくらでも残っているのでたやすいが、精神面の発達には限りがある。
100年以上も前の言葉であるが、今も的を射ていて心に訴える内容だと感じる。小売業界は、時代の流れとともに前には進んできたが、「革新的」だったとは言い難い。私たちは、当時のセルフリッジには想像もできなかったような、多くの「創意工夫」の成果を享受しているのだが、どれひとつとして小売業界を偉大な業界へと押し上げるには至っていない。少なくとも今のところは。私たちの頭脳は、賢くなっているものの、大きな視点で物事を考える先見性と創造性に欠けている。
効率化と増益を追い求めるがために、この業界から巧みな技や劇的な効果を奪い取ってしまった。今、セルフリッジがショッピングに出かけたとしたら、どう思うだろうか。私たちがふだん大規模小売店とか、ハイパーマーケットとか、モールと呼んでいる冷たいコンクリートの塊のような消費の殿堂に足を踏み入れれば、エネルギーも劇的な効果もわくわく感もないことに、さぞかし失望するのではないか。本来なら、小売業界にはこうしたものを生み出す能力も必然性もあるはずなのに、まるで感じられないからだ。
今日、小売業界が動かしているサプライチェーンは、昔に比べれば多少手の込んだものになっているかもしれないが、かつての綿貿易のころの延長線上に過ぎない。フェアトレードについて盛んに議論されるようになってはいるが、安価な労働力の源泉となっている根深い不平等や現代の奴隷制には見て見ぬふりだ。この業界が引き起こしている環境破壊には、かつてないほどに意識が高まっているが、私たちの無謀な行動を実質的に抑制しようという動きは見られない。
事実、私たちが生きている世界では、物質的な富や財産に対する欲望を満たそうと一部の連中が国から国へと渡り歩き、そこに暮らす人々の資源や権利、労働力を奪い取っている。ある国で金目のものを搾り取れるだけ搾り取ったら、次の国に移動して再び搾取を続けている。何千年とまでは言わなくとも、数百年はこんな調子で続いているのだ。
この状況を前にすれば、思わず「もう万事休す。もはや望みはない」と弱音を吐きたくもなる。だが、現在の苦境に対して別の見方もできる。新型コロナウイルスが実は大いなる宇宙であり、私たちの肩を叩いて「おまえはいったい何をしているんだ?」と問いかけているのかもしれない。
パンデミックにしても、私たちがグローバルなコミュニティの一員として、助け合いなしに成り立たない現実を直視する絶好のきっかけなのかもしれない。この業界にとって、今こそ根本から変革すべきではないだろうか。良心があったら、今日の小売業界のようなシステムをもくろむだろうか。
もっと重要な問題は、「誰がこれを直すのか」である。悲しいかな、私たちの政治指導者ではなさそうだ。