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アフターコロナは循環型ビジネスの新時代
■「直線型」ではなく、「循環型」のビジネスへ転換せよ
先ごろウィリアム・マクダナーをインタビューする機会に恵まれた。マクダナーは、2002年に話題を呼んだ『Cradle to Cradle: Remaking the Way We Make Things』(邦題:『サステイナブルなものづくり―ゆりかごからゆりかごへ』)の共著者でもある。小売りのサステナビリティに関して語るマクダナーの言葉のなかに、なんとも刺激的な一言があった。
業界として「有害慣行を減らすこと」をゴールに揚げただけで、あたかも手柄を立てているかのように振る舞うまやかしはやめるべきだという。「有害な慣行を減らすこと」と「いいことをすること」はまるで違うというのが彼の指摘だ。
ミシガン州フリント(訳註:2014年以降に鉛に汚染された水道水で住民に健康被害が相次いだ問題で知られる)で、子供たちの脳に悪影響を与える水道水の鉛を2025年までに段階的に減らすつもりだと語っている人間がいたらどうだろう。「あんたの頭も鉛でやられちまったのか」と言いたくなる。そんな言い分が通るわけがない。相手は毒なのだ。減らすのではなく、止める以外に対策はない。
つまり、「有害な慣行を減らす」ことは、「有害な慣行を今後も続ける」と宣言しているのと同じで、決してほめられた話ではない。改めて問うが、有害な慣行を減らすことがなぜ手柄になるのか。
プラスチックゴミの海洋投棄削減にしても、CO2排出量削減にしても、不平等の緩和にしても、業界として胸を張って宣言するようなゴールではない。そうではなく、いいことをする目標を掲げよというのが、マクダナーの指摘だ。彼によれば、売ったきり、作ったきりの「直線型」のビジネスをやめ、「循環型」の精神を掲げることが大切である。
■真に循環型のビジネスをめざせ
コンセプトとしての「循環」は、環境のサステナビリティと関係の深い言葉だが、環境分野にとどまらず、経済全体に広く応用できる。循環型経済推進団体のエレン・マッカーサー財団では、循環性を次のように定義している。
「循環型経済の3原則は、ゴミ・汚染を出さないように設計すること、製品と原材料を継続的に使用すること、自然の摂理を再生することである」
つまり、循環型経済では、エネルギーでも資源でも原材料でも、使用されるものは最終的にリユース(再使用)、リサイクル、リターン(返却)を経て再生可能なかたちで環境に戻し、未来の世代が使えるようにすることである。商品の製造・販売について言えば、製品を作ったら最終的に使い道のない廃棄物になる直線型で捉えるのではなく、作ったら最終的に再使用されていく循環型をめざすべきだ。インプット(投入)とアウトプット(産出)が常に同量になるシステムである。
だが、循環性というコンセプトは、環境分野にとどまらず、もっと広く応用可能だし、そうすべきではないかと思う。そこで、経済的・社会的不平等を手始めに、あらゆる意味で循環型のビジネスを築くことだ。たとえば、不平等の問題も解決できなければ、気候変動への対策など掛け声だけで終わってしまう。なぜか。
イギリスの『ガーディアン』紙の2019年の報道によれば、バングラデシュの縫製工場労働者の法定最低賃金は月8000タカ(約1万400円、1タカ=約1・3円)だった。時給でも日給でも週給でもなくて、1カ月働いて1万円ちょっとなのだ。その賃金で家族を養う女性を前に、世界の海洋汚染やCO2排出量が最優先課題だと説得できるだろうか。いくらそんな課題を訴えても共感は得られないだろう。何よりも、この女性が日々を生き抜く戦いに全力を注がざるを得なくさせたのは、私たちなのである。
もっとも、バングラデシュまで足を運ばなくても、不平等の現実は目の当たりにできる。私たちの小売業界に蔓延しているではないか。販売の現場で働く労働者は、やっとのことで生活の糧を得る一方、CEOは、ときとして会社を傾かせるようなことをしでかしても、退任時に何百万ドルもの大金をもらっている。
アメリカの小売労働者は、時給15ドル(年3万1000ドルほど)を苦労して稼いでいるが、インフレ率を考慮すると、1970年当時の労働者の賃金を大幅に下回っている計算になる。小売業界はもちろん、他の業界でも似たようなケースは多いのだが、こうした不平等の最大の犠牲者が女性やマイノリティだ。
こうした状況は、いずれも直線型ビジネスの特徴であり、投入する労働力などの経営資源がいくらでも入れ替えが利くとか、ただの使い捨てとみなしている証拠だ。