「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母親が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。日本の高齢化は進み、高齢者と後期高齢者という家族構成が珍しくなくなってきた。老いと死、そして生きることを考えていきます。本連載は松原惇子著は『母の老い方観察記録』(海竜社)を抜粋し、再編集したものです。

「イヨカンが送られてこなかったら…」

壮絶なひとり暮らし

 

おひとりさまをつなぐNPO法人SSSネットワークの会員も高齢化してきた。わたしが50歳で団体を立ち上げたときは、50代前後の働くシングル女性たちがほとんどだったが、あれから20年たった今は、70代以上の会員も多くなり、亡くなる人も出てきた。

 

2000年に「お墓でパーティーしませんか」をスローガンに共同墓を建立したときは、ワインを飲みながら笑って死を語り合っていたが、最近は、「また、亡くなったの」「えっ、あの方、先月の集いに来てたわよね」という会話が出るようになった。

 

団体を運営していると、確実にみんなが、人生の終盤に差しかかっていることを痛感させられる。

 

おひとりさまをつなぐNPO法人SSSネットワークの会員も高齢化してきたという。(※写真はイメージです/PIXTA)
おひとりさまをつなぐNPO法人SSSネットワークの会員も高齢化してきたという。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

これはわたしの持論だが、人間の人生のピークは55歳。その後、どんなに若く見える人でも、仕事も肌も骨密度も内臓もエンジントラブルを起こしたジェット機のように急降下する。そう、これからは、墜落はあっても決して上昇することはないのだ。

 

仮に自分は急降下しているつもりはなくても、それは本人が鈍感なだけで、死はすぐそこに忍び寄っている。今は100歳まで生きる時代だから? まあ、なんておめでたい人なんでしょう。

 

毎年、送られてきたイヨカンが届かない

 

四国に住む会員、幸子さん(仮名)は91歳。結婚歴はなく両親の仕事を手伝っているうちにひとりになり、現在は戸建てにひとり暮らし。いろいろ事情があり、生まれ故郷を50代で離れ、見知らぬ土地、四国にやってきた。わたしが彼女を知ったのは、2010年に、四国在住会員の集いに出かけたときだ。(現在、四国会員はなし)

 

当時、84歳だった幸子さんは身なりもきちんとしたレディ。しかし、その集いのときに、友達がいないと言うので、会員のひとりが「今度誘いますね」と言うと、信じられないことに彼女は拒否した。

 

うーん。長年ひとり身の人にありがちな、頑なな人だ。人が手を差し伸べようとするとひっこめる。そういえば、ホテルのカフェテリアで飲み物を注文するときに「わたしは水しか飲まないので」と何も頼まなくても平気だったのを、わたしは見た。

 

3年後の2013年、幸子さん87歳のときに、共同墓を契約したいとの連絡があり会った。そのときは以前より身体が小刻みに震え、年をとった印象を受けた。「大丈夫ですか」と声をかけると、彼女は笑いながら「イヨカンが送られて来なかったら、何かあったと思ってね」と言い別れた。

 

実は、彼女から毎年、時期になるとイヨカンが事務局に送られてきていた。

 

それがひとつの安否確認にもなっていたのだ。

 

しかし、そのイヨカンが今年は送られてないことに年末になり気づき慌てた。すぐに電話したが、電話は鳴っているが出る気配がない。日にちを替え、時間を替えて電話しても、ハガキを出してもまったく返事がない。もしかして、施設に入ったのかもしれない。とにかく、行って確かめることにした。

 

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母の老い方観察記録

母の老い方観察記録

松原 惇子

海竜社

『女が家を買うとき』(文藝春秋)で世に出た著者が、「家に帰ったとき」あることに気づいた。50年ぶりにともに暮らすことになった母が、どうも妖怪じみて見える。92歳にしては元気すぎるのだ。 おしゃれ大好き、お出かけ大好…

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