2011年の東日本大震災から10年間。3月頃は、多くの人が当時を振り返る時期だろう。筆者は現在、福島県いわき市で医療従事者として働いている。はじめて福島県を訪れたのは震災から数年後だが、それでも震災の影響や変化を感じる機会が多々あるという。医療従事者の立場から、被災後のこと、今思うこと、今後のことを語る。

10年前当時、ニュースで知った東日本大震災の光景に…

東日本大震災から10年になります。筆者が福島に来たのは5年前で、この土地で実際に震災を経験したわけではありませんが、この5年間でも、震災の影響やその後の移り変わりを多く実感しました。

 

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震災当時、筆者は大学1年生でした。大学の剣道部に所属しており、震災当日は春合宿のため静岡県の下田を訪れていました。震災の時間帯はちょうど稽古中で、自分たちが激しく動いていたこともあり、地震の揺れを感じることはありませんでした。

 

稽古中に「師範の到着が遅れる。交通機関が乱れているそうだ」という話がありましたが、まさか大事になっているとは思いもよりませんでした。ただ「そうなのか」という程度で、そのまま稽古を続けていたと記憶しています。

 

稽古後に地震や津波の映像を目にしても、あまりに現実離れしていて、当時の状況をうまく飲み込むことができませんでした。

震災から数年後、現地を訪れてようやく実感

筆者が初めて福島県を訪れたのは、それから4年が経った2015年3月のことです。最初は福島市に、そしてすぐ、いわき市に訪れることになりました。地域の方々と交流して初めて、東日本大震災は本当に、現実のものとしてこの地を襲ったのだと理解したように思います。

 

2016年4月には、いわき市に移住し社会人となりました。きっかけは学生時代、現在筆者が所属しているグループが運営する幼稚園・小学生向けの放課後児童クラブに、学生ながら縁あって「先生」として遊びに来たことでした。

 

今となっても、まさかこの地でこうして医療関係の職に就いているとは…と不思議な心地になります。

 

(※写真はイメージです/PIXTA)
(※写真はイメージです/PIXTA)

復興が進むなか原発周辺地域は荒廃化

こちらに来てからは年に何度か、原発周辺地域を訪れることがあります。初めは「連れて行ってもらう側」でしたが、現在は「案内側」となっています。医学生や研修医が筆者のいる病院を訪れた際には、できる限り同行するようにしています。

 

富岡町、大熊町、双葉町、浪江町と車で回り、また、津波の影響を受けたいわき市の沿岸部も案内します。これらの地域には、被災時から変わらない場所もありますが、少しずつ景色が変わってきています。

 

ところが、原発周辺地域は違います。手付かずの家屋が残り、国道からの入り口にバリケードが立ち並ぶ光景は今でも変わっていません。ホームセンターや家電量販店もそのまま残っています。

 

震災から数年のうちは、無残な姿でも、廃墟として形を保っていました。しかし、ここ2年くらいで、天井が崩れてきている様子が急に目につくようになり、また、駐車場に生い茂った植物が、取り残された車を飲み込むようになりました。

 

長い年月が過ぎようとしていること、風化しつつあることを実感します。撤去作業は着々と進んでいるので、やがて、こういった光景もなくなっていくのでしょう。

施設内に広がる「3月11日14時46分」の空間

2011年3月当時、筆者の所属するグループは、富岡町でも施設1箇所を運営していました。そこは人工透析を行っていたクリニックです。避難からほとんど手付かずの状態で、2019年に解体がスタートするまでずっと被災当時の姿でした。

 

筆者は実際に何度も出入りしました。玄関には、3月11日付の色褪せた新聞や、床の上で2時46分を指し続ける時計が転がっています。震災当時の様子が、ただ静まり返った空間に取り残されていました。

 

地震が発生した時間帯には、多くの患者さんが透析を受けていました。緊急で透析を離脱した跡が残っています。初めて見たときは衝撃を受けました。透析装置から出た血液が床で広がり、固まって粉状になっていたのです。

 

以前は定期的に訪れていましたが、だんだんと雨漏りが酷くなり、次第にカビ臭さもキツくなっていき、解体工事に入る頃には天井が剥がれ落ちて、足の踏み場もないほど散らかってしまいました。

「綺麗すぎる街並み」が物語る東日本大震災の歴史

原発周辺地域だけでなく、いわき市内の津波を受けた沿岸部なども同じ有様でしたが、今ではすっかり綺麗に整備されてきています。

 

以前は車で通り過ぎるたびに重苦しさを強く感じましたが、今はなんというか、奇妙な感じがあります。通常、街には古いものから新しいものまでがグラデーションになって立ち並ぶはずですが、そこでは綺麗なものしか目に入らないからです。

 

しかし、こうした綺麗すぎる街並みこそ、震災の影響を強く物語る光景なのでしょう。

 

3月は、いろいろな人から様々な思いが滲み出る時期のように感じます。先日大きな地震があったこともあってか、当時の話を改めてよく耳にします。

 

そういった経験を聞き、実際にその場所を訪れることができる機会に感謝して、次の10年に向け、少しでも地域の力になることができればと思っています。

 

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杉山 宗志

ときわ会グループ

 

 

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