「親が認知症で要介護」という境遇の人は今後、確実に増加していくでしょう。そして、介護には大変、悲惨、重労働といった側面があることも事実です。しかし、介護は決して辛いだけのものではなく、自分の捉え方次第で面白くもできるという。「見つめて」「ひらめき」「楽しむ」介護の実践記録をお届けします。本連載は黒川玲子著『認知星人じーじ「楽しむ介護」実践日誌』(海竜社)から一部を抜粋、編集した原稿です。

認知症父の捨て台詞「俺に死ねと~」がなくなった

家族みんなが共有意識を持つことの大切さ

 

主たる介護者(介護する人)は、毎日の介護もさることながら、「転倒して骨折したらどうしよう」、「風邪をひいて肺炎になったらどうしよう」など、現実には起こってもいないことまで心配している。事実私の知人(嫁)は「あなたが付いていたのに、どうしてこんなことになったの?」と、娘からさんざんな言われ方をしたそうだ。

 

以前の私も、先のことを心配しすぎて父の行動を制限するような発言をしていた。まだまだ何でもできると思い込んでいる父にとっては、いい迷惑だったに違いない。

 

「ダメ」を言わなくなったら、認知症父は「俺に死ねと言うのかあ~」と言わなくなったという。写真提供=黒川玲子
「ダメ」を言わなくなったら、認知症父は「俺に死ねと言うのかあ~」と言わなくなったという。写真提供=黒川玲子

ある日、娘から、「あれも、これも危ないとかダメだよって言ったらじーじがかわいそうだよ」と言われ、「じゃあ、転んで入院したらどうするのよ!」と言うと、「もし入院しても、ママのせいじゃないよ」と言われて気がついた。

 

以前父は、90歳の高齢者はほとんど罹らないというギランバレー症候群になり、3か月の入院生活を送ったことがある。その間、ほぼ毎日お見舞いに行っていたが、結構大変だった。つまり、入院=メンドクサイだったのである。もちろん、入院=認知症状加速ということもあったが、どちらにしろ入院するとメンドクサイことが起きるからと思い、父に「危ない」「ダメ」を連発していたのである。

 

その後、3人(私、娘、弟)で「今後の父に関する行動指針」という大層な議題の家族会議を開催し、「何があっても主たる介護者(私)のせいにはしない」ということを決定したのである。

 

この日を境に、気が楽になった私は「危ない」「ダメ」を連発する必要がなくなった。

 

家族の理解は、主たる介護者にとってはうれしいことであり、そしてこの決定事項により一番恩恵を受けているのは父だ。その証拠にその頃の捨て台詞である「俺に死ねと言うのかあ~」と言わなくなった。自分がしたいことを止められることは、死ぬくらいの苦痛だったのかもしれない。

 

どんなに転倒のリスクのある危険なものを排除しようとも、転ぶ時は転ぶ。風邪をひかぬよう、温度と湿度の管理を徹底したところで、肺炎を起こす時は起こすのだ。

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