なぜ入居者で「美味しい」「不味い」の差が
では、なぜ実際に「美味しい」「不味い」が存在するのでしょうか? それは、やはり作り手の能力に影響を受けるからにほかなりません。同じメニュー、同じレシピで作ったとしても、作った人によって味に違いは出てきます。私の経験から言うと、美味しい食事は、食事作りに携わっている人の想いや気持ちによって、大部分が左右されます。
冷静に考えればわかることです。限られた予算の中で、限られた食材を使い、指定された調理方法で食事を作るのですから、美味しい食事を作るためには食事作りに「腕を振るう」以外に方法はありません。つまり、入居者に対し敬意を持って精一杯調理すること。自分にできることを、けして横着はしないで丁寧にやること。これが美味しく食事を作る秘訣です。
私が老人ホームに介護職員として勤務していたころ知り合った、ある給食業者の調理人の話をします。彼女が作る朝食を多くの入居者は「美味しい」「美味しい」と言って笑顔で食べていました。ご存じのように、朝食は昼食や夕食と比べると、調理人が腕を振るう余地はきわめて少ない食事です。予算が少ないことと、朝食は軽いものでよいというイメージがあるからです。その逆風の中で彼女は毎日毎日、朝の4時半から厨房に立っていました。そして、食事が始まる朝の8時には厨房から出て入居者のもとに身体を運び、一人ひとりに「今日の食事はどうですか?」「Aさん、顔色が悪いですね。お加減でも悪いのですか?」と言って、声かけしていきます。
普通、調理人が厨房から出てくることはありません。なぜなら仕事が山のようにあるからです。入居者が食事をしている時間帯は、次の食事の下ごしらえとか洗い物とか本社に対する事務作業など、仕事は山ほどあります。
しかし、彼女だけは食事時間は入居者と共に過ごし、入居者の生の声を聞き、誰が何を食べ残したのか、食べ残した理由は何か、味付けなのかそれとも堅かったからか、疑問を丹念に研究していました。ちなみに、彼女の行動は会社からの指示ではありません。調理人である自分の入居者に対する務めとして取り組んでいた行動なのです。
私には食事のことはよくわかりませんが、多くの入居者が彼女の作った料理に満足し、彼女に対し心から感謝していたことは事実です。
味噌汁は熱く提供したい。だから入居者の顔を見てからお椀によそおう、というこのひと手間とその気持ちが食事を美味しくさせているのではないでしょうか?