筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患した女性に致死量の鎮静剤を投与し、死に至らせたとして医師2名が逮捕された「ALS嘱託殺人事件」。人の安楽死とはなにか、改めて問われる事件となった。医療ガバナンス研究所の医療通訳士・趙天辰氏は、「自国の安楽死」について、日本と照らし合わせながら述べている。 ※「医師×お金」の総特集。GGO For Doctorはコチラ

安楽死の議論が進まない3つの理由…経済格差が背景に

1つ目に、根強い古くからの価値観である。安楽死が合法かどうかは、道徳観および倫理観を考慮する必要がある。「好死不如頼活着」という、「良く死ぬよりも、耐え続けて生き延びたほうがいい」の意味を持つ古くからの言葉があるように、このような生に対する積極的な考え方は、長い間中国人の心に根付いている。

 

2つ目に、安楽死の実施行条件の定義が難しいことにある。中国本土全体の経済発展レベルは不均一であり、医療機関のレベルも地域によってだいぶ異なるため、安楽死の定義における「治療ができない(不治の病である)」という基準は曖昧で定義が困難になってしまう。たとえば、患者がエリアAでは治療できないが、エリアBで治療の条件がある場合、安楽死は実施してもいいのか、という問題である。さらに、患者は基本的に他の要因(家族への迷惑、治療費の高騰など)を考え、治療放棄を選ぶ場合も多くあるため、本当の意味での自主意思表示の判断は難しいと考えられる。

 

3つ目に、ネガティブな心理作用が起こりうることである。中国における安楽死の合法化は社会に多大なマイナス影響を与える可能性がある。もし末期症状の患者に安楽死の選択ができるようになれば、周囲の人の患者に対する「生の希望」は軽減されることが懸念される。病気と戦っている人に対し、希望の言葉ではなく、安楽死を薦めるような発言をしてしまう可能性がある。これらの言葉によって、患者は安楽死を選択するべきであるという長期的なネガティブな心理的示唆に苦しむことになりうる。

 

人々が社会から見捨てられたと感じたとき、特に高齢者にとっては、生き残りたいという欲求は消えてしまう。最終的に、患者にとって安楽死を選択することは純粋に幸福のためではなく、一種の諦めになってしまいかねない。

 

このような理由から、中国での安楽死制度を整えるためには、まだまだ時間がかかりそうである。

 

現在、ヨーロッパのスイスや、アメリカのオレゴン州などでは、安楽死を認める法律ができており、その地域の人々にとっての「一種の選択肢」となっている。医療技術が進むいま、患者の自己決定権を尊重する必要性は高まっている。日本・中国を含むアジア圏でも、世界を見習って「安楽死特区」を設けるなど、これからの時代に合わせた安楽死の考え方を議論していかなければいけないと私は考える。

 

 

趙 天辰

医療ガバナンス研究所 医療通訳士

 

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