不動産は安いほうが、国も民も幸せな時代へ
一方で不動産を現在持っていない人たちにとっては、不動産価格が下がることは朗報以外の何物でもないはずです。
自分が一生の間に稼ぐ給料債権を、すべて住宅ローンの返済のために捧げるような愚かなことをせずとも、住宅を買うことができる。余ったお金は自分のキャリアアップや彩り豊かな人生を営むために使うことができます。
不動産が利用価値だけで評価されるのであれば、所有に拘らずに人生のステージに合わせて住み替えていけばよいでしょう。人生で起こる「想定外」の事象にも、住宅に縛られることなく対応できることでしょう。
新しく起業する人たちにとってはどうでしょうか。オフィスの賃料は企業にとっては重たい固定費です。固定費はなるべく軽くしたいのが本音です。固定費が少しでも軽くなればその分を研究開発費や事業開拓のための費用に充てることができます。そのお金で新たに人を雇うことができるかもしれません。不動産価格が安くて賃料が安いことは「いいことずくめ」なのです。
このように考えてくると不動産バブルが崩壊した後の日本社会は幸いなことにこの「不動産からの呪縛」から解き放たれて、新たな成長のステージに踏み出す絶好のチャンスになるのかもしれません。
私は長きにわたって不動産を取り扱う仕事をしていますが、不動産はまことに摩訶不思議でいつの時代でもどんな不動産でも興味のタネが尽きたことはありません。バブル崩壊後にまた違った顔を見せるかもしれない不動産、今から楽しみでしかたがありません。
本連載では「不動産バブル」というテーマで、バブルとは何か、どんな状態がバブルで、現在の日本では不動産バブルといえるような状況にあるのか、バブルがあるとしたらその特徴はどこにあり、以前の平成バブルとは何が異なるのか、仮にバブルが崩壊したらどんな状況に陥り、その後にどんな世界がやってくるのかを展望してきました。
不動産に限らず、バブルとは、「対象となるモノやカネの実際価値と、取引される価格との明らかな乖離」の状態にあることを指すものといえそうです。
その乖離の要因は、本連載でも何度か触れてきた人々の「際限のない欲望」です。欲望とは自分だけが儲けたい、自分だけが良い思いをしたい、自分だけが幸せになりたいという人間の根源的かつ身勝手な思考回路の産物といえるものなのかもしれません。
そしてこの欲望を最大限に実現しようという社会システムが、「金融資本主義」と呼ばれる存在です。金融は「経済を円滑に動かす血液」としての本来の目的を離れ、「カネがカネを生み出す」ためのマシーンと化し、「価値」と「価格」の大きな乖離を演出し、人々を惑わせています。