自分を責める家族「職員のほうが信頼されている」
中には「私たちより皆さんのほうが母から信頼されているようです」と、少し寂しそうに言う家族もいるぐらいです。
その真意の裏にあるものは何か。本当は、自分がやらなければならない親の介護を金と引き換えに他人にやらせてしまっているという後ろめたさだと、私は思っています。実の子供が介護職員に気を遣う風景は、なんとも言えない無常感を感じます。そんなに、自分を責めなくても、皆さんのお陰でわれわれは仕事ができるのですと申し上げても、心が晴れることはないはずです。私が読者の皆さんに知ってほしいことは、介護とは百人百色。正しいことなど、実はどこにもなく、自分のしてほしいことが一番良い介護サービスなのだということを、覚えておいてほしいのです。
昨今、どの業界でも人手不足は深刻です。老人ホームも例外ではありません。老人ホームの中には、介護職員が確保できないので建物は完成したが開設することができないところも出てくる始末です。そのような環境の中で、老人ホームでは外国人労働者と同じぐらい、いやそれ以上にAIやIoTの活用に力を入れています。
見守りセンサーを活用して、入居者の行動を定点観測し、危険な行動に繋 がるような場合だけ介護職員をサポートするとか、介護スーツを活用して、安楽、安全に介護職員を重労働から解放するとか、介護記録を電子化することで同じことを何度も書く手間を省き、介護職員同士の情報の共有をスムーズにできるようにするとか、多くの大企業がこの逆境をビジネスチャンスと捉 とら え、参入にしのぎを削っています。
これらの仕組みによって、業務が自動化され、介護職員にかかる負担が軽減されることは大いに歓迎されるべきことですが、実は、危惧されることがあります。それは、介護職員の実施する介護支援業務とは、まずは人の手でただちに実施するということが重要なのではないか、ということです。
私が言う「手」でやるという行為は、人が人のことを考え、人が中心になって実施することを言います。医療の場合は、人の命を救うために、技術の進歩は常に歓迎され、便利で正確に低コストで処置ができたほうが良いに決まっています。
しかし、介護とは人が人の日常生活を支えること。支えるということは、技術的なこともさることながら、精神的なこともきわめて重要だと思っています。したがって、AIやIoTで便利になったり、効率的になったりすることは必要ですが、人が人をサポートするという姿勢は忘れたくはありません。「なんとなく居心地が良い」「安心できる」「ホッとする」といった居住性は、便利で合理的なだけでは得ることはできません。時には、無駄があり、非合理的な中からしか生まれてこないこともあります。いくら人手不足であっても、介護の情緒的な部分は残さなくてはならないと思います。
小嶋 勝利
株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役